養豚業の拒絶
養鶏場の隣で、養豚場の実験をさせてもらうことを、自治会にお願いしたことがある。6年ほど前の事だと思う。そのころ私の所の養鶏場を手伝ってくれていた、青年に相原さんと言う人がいた。地域の食品残渣に関心があって、学校給食の堆肥化など、取り組んでいた。彼は何とか農業分野で、仕事を模索しながら、私の所にも顔を出していた。彼の両親も小田原の人で、二人とも教員をされていて、彼が農業分野での仕事をすることは応援していた。彼の考えていた地域循環の形は、養鶏ではとても物足りなかったのだと思う。養豚業を考えるようになった。その頃はまだあった荻窪の府川さんの養豚場にも教わりに行ったりした。段々養豚と方向を定めるようになり、ニュージーランドに行ったりした。栃木の発酵床の農場にも半年ほど研修に行った。
それで、舟原で養豚が出来ないか。自治会長のところにお願いに行った。自治会長は、何とかさせてあげたいと考えてくれた。しかし、自治会はそう言う事を審議する仕組みがあるわけでないので、新年会の席で、相談してくれることになった。ところが、養豚をやりたい人がいるのですが。いいでしょうか。とそういう形で、説明もなく、私に説明をさせるわけでもなく、単純に賛否を問うた。誰も内容は理解できないまま、養豚は厭だ。5分程度で話は終わってしまった。舟原の人にしてみれば、なんでもない些細なことであったろうけれども、20歳の青年の未来の夢を、一瞬に消し去った。自治会が話し合う場に成っていない。そこに突然持ち出された養豚場。詳細の説明も出来ない。これでは、成り行きは見えていた。自治会長としては自治会の集まりで駄目だと言ってもらう、順序だったのかもしれない。
相原さんは今南足柄の苅野で、立派に養豚場をやっている。臭いもない、排水の問題もない。発酵床の養豚場だ。若い夫婦で頑張っているので、苅野でも暖かく迎えられている。何故、舟原では拒絶され、苅野では受け入れてもらえたのか。それは苅野はその地で農業で生きてゆく、行かなければならない。そういう思いが強いからだと思う。まだ、里地里山を維持してゆく、健全な地域環境があるのだと思う。一方舟原では、議論以前に拒絶してしまった。それは、舟原では農地は資産管理になっているのだと思う。農地の於いて、農業で生計を立てなければならない。必然がない。勤めにもでやすいし。仕事もある。古くからの農村ではありながら、意識的には近郊住宅地化して来ているのだろう。
それは時代の流れで、当然の事だが、この先もそうだろうかと、少し思う。地域に健全な農業が育つ事は、すばらしい街の条件ではないだろうか。地域が地域として魅力的になってゆくには、その暮す場所に、健全な食料の生産の場があると言う事は、重要になってゆく気がする。確かに住居地区、工業地区、商業地区、農業地区という形で、範囲を決めてゆく必要はあるだろうが、農業地区には農業地区の暮しがある。これを、きちっと話せるような仕組みがあればと思う。これからは人口が減少してゆく時代だ。どの統計予想でも、神奈川西部地区の減少は明らかなことだ。もう住宅開発で、土地が値上がりするようなことはない。農地は農業として、どのように利用して、生産物を生み出すかを、真剣に考えなければ、いけないのだと思う。小田原の農業者の平均年齢も70歳になるという。