水彩人、しるべ合同展
9月10日から15日銀座東和ギャラリーで、「水彩人・しるべ合同展」を行う。今その準備を進めている。と言っても、多くはしるべの伊藤さんがやっている。この展覧会は53名の参加で行われる。この規模で、グループ展として行うのは初めての事だ。実は、水彩というものを考える上で、すごく期待している。しるべと言う会は水彩人が、準備した会だ。水彩人では写生会や研究会を通して、水彩というものを考えてきた。そこにかかわった人は80名ぐらいの方が居る。その人達が、作品というものを考える上で、発表して見ることが、必要だと思った。絵を描くのは一人でやることだ。しかし、他の人と絵を描くと言う事で、一歩進めると言う事がある。これは、春日部洋先生についていって絵を描いて、経験した事だ。
春日部先生は、直接、絵を指導してくれたと言う事は、殆どなかったけれど、絵を描くと言う事を、見せてくれた。例えば、朝から散々絵を描く所を捜して歩く、しかし、見つからない。見つからないまま、昼飯も食べない。3時ごろになって、喫茶店に入る。そこでサンドイッチを食べながら、絵の話をしている。5時頃になって急にさぁー描くぞ。と言う事で、暗くなるまで、夕景を描いた。これが初めて、一緒に描きに行った。小川町での事だった。絵を描く波長のような物があった。山北に移る前後なので、もう20年以上前の事。その後、年に2,3回は一緒に描きに行かせて貰った。先生が亡くなられてから、誰かと一緒に描くと言う事もなかったのだが、水彩人を作ったときから、また、一緒に描いて見ることになった。最初は、上田のほうに行って、水彩人展もやりながら、研究会をやった。
それから、年に1,2回はどこかに、大勢で描きに行くことになった。ただ描いているだけでは、やっていることの意味が明瞭にならないという事で、展覧会を水彩人の秋元さんの所でやった。流山だった。ちょっと遠かったが、それはそれで、大切な機会になった。絵を描くと言う事への迫り方にも、それは千差万別だろうが、水彩人らしい探求の仕方が、少しづつ見えてきた。この間、しるべの人も、水彩人の人も、絵の深まりがあったと思う。絵が少しでもよくなると言うのは、大変なことなのだと思う。絵に対して努力をすることが、できるのだと思う。気持ちよく絵を描くと言う事だけなら、深化の必要はない。描く人間が絵に現われているような絵を描きたいし、見たい。他人の作り出した、絵のような物を、なぞらえる様なことは、おもしろくない。
しるべは、そんな期待を共有しながら、展開してきた。それで、もう、水彩人が引っ張って行くと言う事が、できない所まで来た。これ以上、引っ張る事は、引きづり回すようなことになる。自力で展開する以外ないところに来た。そこで、水彩人と、しるべの仲間が、同じ会場で、同じ条件で絵を並べることになった。ある意味、これは笹村の我儘でもあるが、そうありたいと言う事でもある。水彩人では、いわゆる、先生と呼ばれるような人もいるので、生徒と対等と言う事は、困る人もいるかもしれないが、先生だけ、別格で小さな絵を奥の方に飾る。こんなことは、厭らしいと思うのだ。絵というものの前で、恥ずかしいと思うのだ。絵は人間の尾ひれとは何の関係もない。全精力で表現した絵を、出品しようと思っている。しるべの人達の、出発の展覧会になるように期待している。