教員の仕事

公立学校教員の給与などを定めた教員給与の改正案が15日、衆院本会議で可決された。給与を増やす待遇改善策を軸とした政府案に加え、時間外勤務を月平均約30時間に減らす目標や教員増のための措置などが明記された。
20代後半から30代にかけて、7年間世田谷学園で働かせていただいた。精一杯働いたつもりである。奨学生として学んだ曹洞宗立の世田谷学園で教えることが出来る巡り合わせを幸運と思い、全力で美術講師として当たったつもりだ。どこまで出来たかのかは疑問があるが。
もちろん十分な教員ではなかったかもしれない。本気で教えたつもりである。世田谷学園は公立高校ではないから、教員のあり方は違うのかもしれない。しかし、働いていたときから、給与とか、時間外勤務とか考えたこともなかった。
やり尽くすつもりの全力の毎日であった。それでも教員というものは難しいもので、生徒からしてみれば、どうしようもない教師だったかもしれない。いろいろの生徒がいるから、良かった生徒もいれば、困った生徒もいたことだろう。みんなに良いというほどの教師ではなかったことは確かである。
生徒が帰るまで学校にいたから、7時くらいまでは居たのだと思う。生徒と一緒に何か作っていたのだから、働いていたというわけでもない。そこそも教師として働いてい田という気持ちはなかった。生徒だったときにこう言う先生であれば良いと思っていたような教師であろうとしたような気がする。
十分と言うことは到底言えない。教師にはこれで良いという限界がない。どこまで力を尽くしたからと言って、良い教師であったなどとは全く言えない。不十分極まりない教師であったと思う。一つ他の美術の先生とは違ったのは、筆記試験をやったことだ。
美術を遊んでいる時間と考えている。他の教科の先生には不評だった。美術の試験勉強までやって居る暇がないと言うことである。私だって試験を作ったり、採点したりするのは面倒なことだ。それでも美術の基礎知識は教える必要があると考えていた。
今でも同じ気持ちである。のぼたん農園で筆記試験をやりたいぐらいだ。農業をやる以上、基本的な知識は不可欠である。農業高校の教科書を学ぶぐらい当たり前だと思っている。百姓に勉強入らないなど大間違いだ。
教員も確かに労働者ではあるのだろうが、労働者意識だけでは足りない仕事である。それは、もし学校で学んだときに尊敬できる教師がいる人ならば分かるはずだ。労働者の役割以上のことをしてくれた教師を尊敬しているはずだ。
人間が人間に教えると言うことはそういうことなのだと思う。給与の範囲だけ教師であれば良いとは言えないのだ。ところが、今の教員の待遇は過重労働になっているらしい。すぐ止めてしまうし、なり手も少なくなっている。勤務を楽にしなければ、教員のなり手が少なくなるのだろう。
一つのクラスの生徒を減らすと言うことも行われている。確かにそれもやり方ではあるが、クラスの単位というものには良い数がある。少なければ良いと言うことでもない。40人ぐらいは良いと思える。しかし、今35人に移行されている。
35人の方が目が届くと言うことなのだろうが、目が届きすぎも良いとも言えない。今は小学校でもIT教育と言うことが進んでいる。一人一人に個別に確実に指導をする必要がある。そのためには生徒数は30人くらいでも多いとも言える。
教科によって適正人数は違うと言うことなのだろう。美術の場合、40人でも問題はないと思う。教室の空気に引き上げられて、学ぶと言うことがある。創作する意欲が湧いてくる人数というものもある。少ないよりは多い方が良いように思う。
人数が少ないと、教師と生徒が相対する関係になる。むしろ生徒同士が学び合うと言うことが重要になる。他の生徒から学ぶと言うことの方が、多いはずだ。教師はどうやって、意欲が満ちた創造的な環境を作り出せるかが課題だろう。
教師から外すべき仕事は、事務的な仕事であろう。例えばお金集めや、材料の購入業務などは、教師自身が行うよりも、その専門の職員がいた方が良い。学校にそうした事務窓口があり、集金や業者対応は行えば良い。
美術室の改造の仕事をしたことがあるが、大工さんを見つけてくるところから、施工管理まで行ったが、これはかなりの負担だった。その大工さんが、贈答品を私に送りつけてきて、それを送り返す手間までかかった。
地方の僻地校ではむしろ少人数が普通のことになり、閉校になる瀬戸際と言うこともままある。こうした少人数校の方が、学力が高くなるかと言えば、そういうことでもない。平均的に都会の大規模学校の方が学力水準は高くなる。
個別指導が良い科目と、むしろ人数が多い方が良い科目と言うことがある。学校にIT専門教員がいる。と言うような状況は大規模校でないとむずかしいのかもしれないが、地方の少人数校でも、地域の人財を学校に取り入れる努力をしても良いのかもしれない。
IT人材は案外地方にも居て、仕事を探しているかもしれない。音楽や体育や美術や外国語も同様ではないか。科目によっては外部に人材を求めて、個別指導を行う。様々な働き方があって良いはずだ。私は小学校田をやらして貰っているが、有意義なことだと感じている。
国民の玉木氏が徹夜しても働きたいという人が居ても悪くはないと延べた。私も同感である。フランスに行くときに働いてお金を貯めた、徹夜の仕事になれば、嬉しかった。嫌なら変えれば良かったのだが、やらせてもらえるときには喜んで働いた。
過労死が問題にされているときに、とんでもない発言だと吉野会長は否定したが、これが農家であれば、ごく普通のことである。徹夜で牛の出産に立ち会うことなど当たり前のことになる。働くと言うことはそういうことである。
農家は自営業者だから、働き方など自分で決めればいいわけだ。しかし、農家の厳しい経営を考えれば、植物相手であるから、仕事が集中する。暇なときもある。努めて農業をやることと、自分で農業をやるのは、全く違う仕事と言えるだろう。
企業労働者のことは私には分からないが、自家営業者であれば、お客さんが来れば、店を開けて対応する。そんなことはごく当たり前のことだろう。お客さんに喜んでもらいたいから、やっているわけだ。やりたいことをやって暮らして行ければ一番良い。