健康寿命の国の提言

1. 喫煙2. 飲酒 3. 食事4. 体格5. 身体活動6. 心理社会的要因7. 感染症8. 健診・検診の受診と口腔ケア 9. 成育歴・育児歴S. 健康の社会的決定要因
以上の9項目について健康な長寿のための提言が書かれている。全体的に常識的なことであるが。いくつか私がしていないことがある。考えてみようと思う。6,7,8についてである。健康長寿でなければ絵が描けない。
まず6.心理的要因ということでは、ストレスの回避と言うことが書かれている。この点健康長寿のためには適度なストレスが必要だと逆に考えている。人間ぼけないためにはそれなりのストレスは必要だと思っていた。ストレスがない暮らしでは、ボケたも同然である。
ストレスとは心理的圧迫である。絵のことではうなされるような夢を見ている。一向に絵が描けない状態の夢を見る。自分の絵を描くと言うことが生きる目標であるにもかかわらず。描くことが出来ない。描いているときはそうでもないのだが、絵のことを考えていると、まるで違うことをやっているような焦りを感じる。
そこまで来ているのに、行き着けない絵。どうにもならない苦しさがある。解決する能力不足にさいなまれるのだが、目標を大分先に置くことで、何とかしのいでいる。100歳まであるのだから、そこまで努力を続ければ、何とかなるかもしれないと考えることにしてストレスを軽減している。
しかし、もし絵を描くと言うことがなければ、1番から5番までの節制は出来ない。絵を描く為にはなんとしても100歳まで緊張して生きなければならないと思うので、酒も控えめで我慢が出来る。体重の維持も出来る。運動も続けられる。
絵を描くと言うことはストレスであることは間違いないが、ストレスのない方が健康という考え方はやはり違う。同年代の人を見ていると、退職して、目標を失い、ストレスがなくなり。たちまち活力を失う人を沢山見ている。少なくとも老人にはストレスは必要である。老人を甘やかしてはダメだ。
そして7番の感染症対策。まさにコロナ時代のことである。コロナが蔓延して、日本の平均寿命は延びた。しかし、健康寿命は下がったかもしれない。コロナ対策は実のところ、社会の感染症対策全般のことであった。一人ではどうにもならないところがあるのが社会的要因である。
感染症対策では政府の政府は東アジアの国のなかでは対策に失敗をした。方向性には、疑問があるところだ。コロナは完全には終わらないだろうし、次の感染症が起こると考えなければならない。ソーシャルディスタンスの感覚は定着するのだろう。社会的に良いことであろうか。3密が悪いこととして社会に定着することは望ましいことなのだろうか。
人間長生きすれば良いだけではない。人間らしく長生きをしなければならない。すべてを忘れて狂喜乱舞することも人間には必要なことなのではないだろうか。人間の生活の歴史を考えれば、ソーシャルディスタンスは異常なことではないだろうか。
裸の付き合いというようなことを避ける人間が増えることだろう。又それが許され、奨励されるような社会になるのかもしれない。そういうことは人間が成長する上で問題はないのだろうか。人間の疎外と言うことが一段階進むと言うことにも繋がるのだろう。
もう一つ感染症で気になるのは衛生観念の変化である。「汚いはきれい。きれいは汚い。」子供の頃から、様々なウイルスや菌に接触することの意味を考えるべきだ。人間無菌室の中に生きるわけではない。どうしてもどこかで菌やウイルスに接触する。
接触を繰り返すことで、免疫力がすこしづつ出来る。菌と折り合いを付けながら生きることが必要なのだと考えている。子供の頃虚弱体質と言われて、マムシの肝を飲み込まされて育った。それでも72歳で健康で居られるのは、汚い中で生き抜いたからだと感謝している。
たとえコロナであっても、感染して抗体ができた方が、ワクチンで抗体ができることより望ましいと考えている。今やこれは危険思想である。若い人が感染しても発病しない場合が多いというのならば、自然免疫を獲得する方が、免疫力も強いであろうし、他のコロナの変異ウイルスに対しての交差免疫を得る可能性も強まるのではないだろうか。ワクチンは製造方法から言っても限定的に見える。(素人考えである。)
そして、8番の健康診断である。過去1回だけ人間ドックに行った。65歳になったときである。健康診断は避けている。自分の身体は自分が一番分かっているつもりだからだ。65歳の時に行ったのはその自己判断を確認したかったからだ。
身体は予測した通り全く問題がなかったが、緑内障が見つかった。緑内障かもしれないという自己判断が実はあった。右目の視野が欠けているような気はしていたのだ。それなら早く対応すべきだったと今は思うが、それが出来なかったために今に至っている。
その後自分の身体を内観法で感じながら調べている。毎日身体を測定して変化を見ている。怪しければ病院に行こうと考えてきた。いまのところ怪しいところはない。そろそろ2回目の人間ドックは必要なのかとは考えている。どこかの温泉病院人間ドックなどという所に旅行がてら行きたい物だ。
このように絵が描ける身体でいたいという欲がある。だから健康でありたい。死を受け入れられたわけではない。ここで終わったのでは絵が余りに中途半端で情けないことだ。これで一応私の絵に至ったと言えるような絵が描きたい一心である。
最近絵を描くことに新しいことを一つ加えた。8時30分から絵を描き始めて、10時くらいに成ったら、一度当たりを歩くようにしている。10分ほどである。そしてまた、描き始めて12時前に家に帰る。
歩くようにしたのは、一度絵から離れてみることが必要だと考えてのことだ。絵を描いているところをしばらく歩く。まるで天国のような場所だと言うことが分かる。これほど美しいところで絵を描いていられる幸せに改めて感謝している。