学術会議任命拒否は重大な事件だ

日本学術会議は1月28日に開いた幹事会で、菅義偉首相が任命を拒否した会員候補6人について、4月の総会までに任命することを菅首相に求める声明を全会一致で決定した。
菅総理大臣は日本学術会議の推薦した人の内、政府に批判的とされる6名の任命を拒否をした。これは天皇が内閣総理大臣を承認しなかったことに等しい事件だ。昨年から続く最大の政治問題と考えるべきことだ。日本の方角を変える重大事件である。
現在の所、学術会議の声明に対して回答は出していない。共産主義的傾向のある学者は任命拒否するという、嫌がらせを押し通そうとしているのだ。菅氏には特段思想はないと思う。政治哲学も延べたことがない。共産主義が嫌いと言うぐらいのことはあるかもしれない。
人事に口を出した理由は自分の力量を示したいという権力者の見えのような物だろう。たぶん共産主義がなんたるかも充分勉強したような人ではないに違いない。現実の政治の世界で世渡りを覚えたような人のようだ。
そうして、学者を言いなりにするのは人事と賞罰だと考えたのだろう。政治家らしい、嫌らしいだけのくだらない人間である。日本国の方角を考えたことがあるなら、学問の価値を知らないはずがない。学問を学べば、一辺倒ではダメだというぐらい分かるはずだ。
ところが、報道や国民一般もこの重大事件に対して飽きが来たようだ。最近の日本の社会は熱しやすく飽きやすい。政府もそれを見越して、二階幹事長によると、瞬間的なことで、落ち着けば状況は変わると表現している。しばらく耐え忍べば何でも忘れてくれると考えるようになっている。
野党が国会で繰返し学術会議問題を問い詰めると、野党は何でも反対である。もっと大事なことを議論すべきだということになる。確かにコロナは重要ではあるが、学術会議問題にはこの国の形がかかっている。おろそかに出来るような問題ではない。
学術会議任命拒否事件の本質を考えなければならない。確かに元総理大臣森氏の女性蔑視発言には日本の封建社会の残存が表われた。日本の社会が何も変わっていないと言うことが世界に知れ渡った。これは時間が経てば消えるどころか、ますます封建社会に戻ろうとする力が働いていると見なければならない。
学術会議の会員推薦に対して政府が口を挟もうとする意図を考えなくてはならない。学問を政治の家来にしようと言うことである。政府が希望するような学問をしなければならないと政治家が考えるようになったのだ。政治家というのは即物的にそんなことを考える物なのだろうが、それが二本の吸いたいに繋がっていると言うことに気付かなければならない。
学問が自由にあらゆることに興味を持ち、イグノーベル賞に値するような研究を大いにやるべきなのだ。役に立たないからこそ価値があるという学問もある。昔、金沢大学にイトヨの分類をされている先生がいた。その先生は彗星魚類の分類を志したのは、世の中に役に立たないからだとはっきりと言われた。
実に逆説的な表現であって、役立つ学問という物は利用される学問だというのだ。役立つという方向に学問は限定されてはならないというのだ。だから、イトヨの背びれの形がどうであると言うようなことは、どうでも良いことである。どうでも良いようで、分類学という学問が成立している。
その先生は人格が魅力的な方であった。純粋なのだ。学舎が打ち込むと言うことはこういうことなのかと教えられた。その先生を間近に見て、学問の崇高と言うことを教えられた。学問は役に立つからすばらしいというような、底の浅い物ではないのだ。
本当の学者はまるで禅僧のようだと思った。学問に打ち込むことで、人間を極めている。こうした学者の輝き方こそ、教育だと思った。とうてい及ばない人を見せて頂いたと思った。その人が輝いていない限り教育などないと悟った。
日本に一番失われているのは人間の輝きではないだろうか。政治家に尊敬できるような人がまるでいない。どこかの役所の人事課長のような菅総理大臣である。人事で人を操り、溜飲を下げているような人間のいやらしさに満ちている。こんな総理大臣を尊敬できるであろうか。
政治家が学者の世界の人事に口を出すなど、もってのほかである。政治家の方が学者の上に立つような国はろくな国ではない。政治家が学者を尊ぶ姿を国民に見せるようでなければ、良い国にはならない。この一番大事な所を、嫌らしい方法で腐らせようとしている総理大臣である。
まだこの学術会議任命拒否の意味が国民広範には認識が広がっていない。どこかに学者の先生方で雲の上の話だと考えている節がある。この問題は国のあり方が問われているのであり、政治が文化、芸術、学問に対して従わせようとする態度である。自由主義の根幹に関係する問題である。
ここをおろそかにすれば、政治家がすべてを動かす国になるにちがいない。菅氏のようなねちっこい嫌らしい人間に、従わなければならない国は耐えがたい。このまま行けば、北朝鮮と同じ国になりかねない。独裁国家の世の中は沢山である。
これは箸の上げ下ろしまで、国が命令する第一歩となる事件だ。それくらい気味の悪い話なのだ。小さな雲の上の話だと見逃すわけには行けない事件だ。最悪アベ政権は知らず知らずのうちに独裁政治を目指していた。良い子だけを優遇してやるという、恩恵政治である。自分に従う者はいい目を見て、反する者は冷遇する。これを菅官房長官が先頭に立ち行った。
それが、菅内閣が出来て露骨に表面化したのが、任命拒否事件である。国民の反応がこのことに鈍いのは、他人事という意識と、それなら自分が優遇される側に回ることだという打算が入り交じっているように見える。トランプ主義者と同じである。