NGリストとは何ごとじゃ

謝罪会見にNGリストが準備されていて、300名集まった記者の内、6名の記者には質問を当てないようにと書かれていたという。このリストを作ったのは、謝罪会見の設定をするFTIと言うPR会社だそうだ。ビックモーター事件での損保ジャパンの会見も取り仕切ったという。
今回NGリスト政策の責任者が、野尻宏明氏という元大蔵官僚で、ハーバードも卒業。アメリカの弁護士資格もあるひとらしい。なるほどそういう人生を歩む人というのはこれほどの世間知らずになる。謝罪対応が出来るような、つまり負けたときの対応が出来る人物ではない。
これはもう謝罪会見ではなく、どうやってごまかし、やり過ごすかだけを考えた会見だ。やり過ごすどころかNGリストで炎上してしまった。謝罪とは、五体投地である。すべてを投げ打ちひれ伏すことだ。もしまともな会社の謝罪のつもりなら、もう一度時間無制限で記者会見のやり直しをしなければならない。
何とか謝った振りをしてやり過ごそうなどと言うのは、心からの謝罪はしないと言うことだ。今までもそんな形だけの謝罪が良くあった。こんなことは通用するはずもない。ダメな会社はどこまでもダメなのだ。こんな会社終わりにして何の問題も無い。ごまかして継続させてはならない。
テレビ局などは、早く終わらせるために、どこで手を打つかだけを見ているに過ぎない。だから、謝罪会見を外部委託したのだ。たぶんテレビ局の紹介ではないだろうか。会社の幹部になった元タレントの無能ぶりもすごい。そもそも会社運営の能力がある人など、いわゆるタレントの中に居るのだろうか。
タレントを会社の幹部にしたのも、見栄えだけだろう。タレントなら脚本を与えればその通りに動けると考えた人が居るとみた方が良い。謝罪をして、イメージを変えてもらうことが目的なのだから、タレントのイメージ乗りようである。能力を期待しているわけではない。
タレント社長は脚本がなければ動けないので、謝罪会見の運営会社の行き過ぎた指示がNGリストと言うことになったのだろう。テレビの中では、敏腕刑事であり、会社の有能社員ではあるが、現実に対処する能力はなくて普通だ。演出すれば何とかなるという辺りがエリート故の甘さだったのかもしれない。
こんな調子で社会を甘く見て動いているのが、日本のエンターテイメント業界なのだろう。どうせ世間などその場限りだ。ほとぼりが冷めればきれいさっぱりと忘れてくれると考えているのにちがいない。そういう経験を、人気者が忽ち忘れ去られる姿を何度も経験してきた結果そうなった。
元大蔵官僚が甘く見たのは、世間だけではない。経団連からCM停止が出たのだ。これで予定変更に至っている。経団連にしてみれば、こんなにひどい犯罪に何もなかったので、早く忘れようというだけでは済まないと考えたのだろう。当然のことではないだろうか。ここから色々変ってきた。
様々謝罪会見というものが行われる。テレビ中継までされるような大騒ぎになるものが多いのだが、謝罪会見をやってさらに状況が悪くなると言うことのほうが多い。そもそも謝る原因が悪い事なのだから、謝るぐらいで解決できると考える方がおかしい。謝罪は解決ではない。謝罪後の行動が問われるのだ。
能年玲奈という女優がいる。「あまちゃん」で一躍スターになった人だ。素晴らしい女優さんだったとおもうが、NHKの連ドラがおわって、所属していた会社と何かあってもめたらしい。会社は素人を仕立て上げて売り出してあげたのに、人気が出たら生意気になったと考えたのだろう。
能年玲奈と言う本名を使えないことにして、テレビ世界から締め出した。つもりだった訳だ。本名が使えないという奇妙なことで、のんさんになった。「劣悪な労働条件なので移籍したい」という希望。「お金を投資してお前育てたの誰だと思ってんだ」という反応。時々起こるありがちな問題。
普通の人間の普通の反応が許されないところが日本の社会なのだ。これは別段タレント業界だけではない。テレビ局ものんさん問題や性加害隠蔽問題で分かるように、この暗黒の構造を利用しているのだ。この気味悪い世界を維持していこうと画策する必要など、どこにあるのだろうか。
のんさんは才能が豊かな人だから、潰されないで今でも活躍しているわけだが、大半の所属会社の奴隷契約に抗議した人は潰されて消されてきたのだ。タレントの世界だけ考えればそんなものだ、不満を言う方がおかしいというのが現実かも知れないが、実は日本の社会のこうした悪弊はすべての分野に広がっている。
のんさんはときどきCMなどに現われるのだが、いまでも電通と博報堂は一切扱わないそうだ。電通とか博報堂と言うようなものが日本を仕切っているつもりなのだ。日本の暗黒集団の一角を担っているのだ。オリンピックむさぼりも、コロナむさぼりも、選挙むさぼりも、ひどい事が繰り返されている。
当然今度の記者会見も仕切っている野尻氏も同じ穴の狢なのだろう。この機会に長いものには巻かれろ方式を止めるべきなのだ。良い子にしていれば可愛がって貰える方式はもう沢山だ。タレントだけではない問題だ。政治家でもそういう議員が多くないか。
杉田水脈議員は何故人権侵害を続けるのか。それがある筋から期待されるよい子なのだ。裁判所で犯罪者と判決が出ようが、期待されるよい子にしているのだから痛くもかゆくもないのだ。右翼に期待される女性議員枠があるのだ。一時目立っていたたが、最近目立たない稲田 朋美 議員などもその一人だろう。
最近話題になったのが、小渕元総理大臣の後継である小渕優子議員。この人の少子化担当大臣の時の国会答弁はすごかった。しどろもどろで、何をしゃべっているのか分からなかった。何でこの人がまた重要ポストに就くのかと言えば、枠がありこの人を押す派閥があるということだろう。
こういう右翼女性議員枠は一種のタレントなのだ。タレントを売り出すためには様々な仕掛けがあるのだろう。いわば奴隷契約である。女性差別の象徴が国会ということで、批判が続いている。世界一の男性社会が政治の世界である。
女性議員は政治家というよりタレントなのだ。スマイルアップのタレント幹部の哀れさもそこに由来する。社会というのはこうして出来ているのかも知れない。美術の世界でも、藝術を育てようなどと言う画商には会わない。画家というタレントにすぎない。売り出し方一つで商品になると考えている人達がいるのだ。
要領よく商品開発をする人がのさばる、資本主義末期の社会現象。オリンピックでも感染症でも一儲けの材料としてしか、見ることが出来ない社会なのだ。これが日本の停滞の主たる原因である。日本の野党がダメだというのも、タレントがいないという意味に過ぎない。維新が目立つのもタレント要素。
今回のNGリスト問題の背景にあるものを、えぐり出す必要がある。どうせ報道は曖昧にして終わるだろうから、この社会のたまたま切り出された悪の断面を記憶に残す必要がある。こうやって社会を動かそうと言う人達が社会の主流に居ると言うことを忘れないようにしなければならない。