農の会の田んぼがすごいことになっていた。

   



 石垣島には2日に戻る予定だったのだが、沖縄付近で停滞してしまった台風のお陰で、飛行機が欠航になり、8日まで帰れない事になった。石垣島の「のぼたん農園」の仲間にも迷惑をかけている。新しい田んぼの準備など、全く困ってしまうが、自然の前には耐えるほかない。

 飛行機が長く欠航すると、回復するまでに時間がかかるという事が分かった。溜まっていた乗客が早く飛行機を予約しようとするから、どんどんだぶついてゆき、予約が取れなくなるという事だった。これからは台風シーズンの飛行機は十分注意しなければならない。

 次に9月2日から来る予定だったのだが、これも一度キャンセルした。怖くなった。水彩人展の直前ではまずいので、余裕を見て取り直すつもりだ。これは費用が高くなっても仕方がないことなので、早めに小田原に来る予定を立てるほかない。2地点居住の問題点だ。

 小田原の夏は暑かった。昼間は石垣島より暑かった。箱根の長尾峠まで行き涼しい場所で絵を描いていた。小田原の家の冷房を渡部さんが付け替えてくれたので、夕方から冷房を入れて、ゆっくり寝ることができた。朝の今は涼しい。この朝の清々しい感覚は石垣島ではないものだ。

 石垣島の朝は野外でも30度ある。風があれば何とかなるが、基本一日中冷房を入れていなければ暮らせない。暑さで石垣島暮らしを諦めたという友達が話していたのだが、まさにその通りだと思う。最近の気候では冷房がなければ石垣島では暮らせないだろう。

 小田原ではまず大豆の草とりに参加した。4台の耕運機で大豆の畝間を中耕してゆく、その後を手作業で草取りをしながら土寄せをする。草は結構多くて、驚くほどだった。また8月後半で草取りをやるという事だった。大豆の生育は悪くはないが、雨がないせいか今一つの所もあった。

 雨が大豆播種後、ずーと降っていないのだそうだ。捕植した株がその為成育できなかったらしい。それでも枯れなかったのだから良かったという事だろう。大豆は播種後の雨が多く影響する。播種するときは参加した。その後すぐに雨になり、発芽は何とかなったわけだ。

 その後雨が降らないから、大豆の成長は遅れている部分がある。それでも何とかなっているのは、大豆の会の栽培技術がかなり優れているからだと思う。土壌によって雨がない影響も違って現れる。特に、家の脇の畑は湿り気が上から来てる。このおかげで大豆が良いのだと思う。

 大豆の会の方法で、石垣島でも大豆栽培をやりたい。今年の大豆の実験では、何とか「小糸在来種」に実が付いたところまでだ。きちっとした実になるかはまだわからないが、もしかしたら何とかなるかもわからないと思っている。その実を播いて見て、継続性があるのかを見たいと思っている。

 小田原の家の脇の畑の大豆は昨年は反収300キロぐらいになった。今年の大豆畑も、素晴らしいできである。雨が降らないという状態が嘘のようだ。今年は過去最大の収量になると思われる。ともかく株が揃っている。どこを見ても悪い株がない。

 豊かな土壌が作物をつくる。草は生えてきた小さい内の根が張らない内にとると言われていた。小さければ間を足でかき回すぐらいで草が取れる。早めに土寄せで取る。このやり方をのぼたん農園の大豆畑に生かしたいと思っている。様々条件は違うとは思うが、いつか収穫300キロまでいつかたどり着きたい。



 欠ノ上田んぼのイネの状態は以前から目指してきた理想的なものだった。止葉が幅2㎝以上長さが60㎝以上。株の高さが1m以下。過去最大と言える30センチある大きな穂が出始めている。分げつ数は25ぐらいだろうか。このまま行けば、畝取り間違いなしだと思う。

 苗の数は1本植の30㎝角だ。株の状態を見ると丁度良い感じである。田植えの時の大きさが、5葉期2分げつ。大きさとして30㎝少しあった。良い苗だから良くなるとは思ったが、予測通り素晴らしい状態になった。こうした畝取りの状態をもう10年以上継続しているだろう。有機農業の優秀さを表している。

 栽培方法の基本は私が書いた「小さな田んぼのイネ作り」という自給の為のイネ作り方法に従っている。私が石垣に移住した後の、4回目のイネ作りである。私が田んぼをやっていた時よりも、安定している。私はいつも実験的で試行錯誤ばかりしていた。良く考えればあの頃の結論が今の形なのだろう。

 本格的な自給農業を学びたいのであれば、欠ノ上田んぼに参加することだ。分配されるお米が120キロ。参加費1万円。現在15名位の参加者がいるが、まだ数名は参加が可能だ。全くの初心者でも参加できる。ここでイネ作りの基本を学び、次に自分の田んぼを始めればいい。一年参加してもらい、人が見極めれられれば、農地の紹介も可能だ。

 溜池の草刈りをした。暑くて早朝からやったのだが、長くは続かなかった。ほとんどを渡部さんが一人でやってくれたようなものだ。でも少しでも協力で来た事は嬉しかった。溜池も私が離れてから、どうなるかと心配だったのだが、来た時に草刈りをしたり、洩れる所に土を入れたりで、何とか維持が出来ている。

 その間にカキツバタが成長して、綺麗に咲くようになった。カキツバタがこの溜池を守ってくれると思っている。美しい花が咲く場所がごみ捨て場になるはずがないと期待している。小田原市も小田原市所有の溜池なので、整備の材料は提供しえくれている。これがなければ続かないところだった。

 先日、聞いた話では和留沢の市に寄贈された土地で、環境部が管理していた場所が農作物が栽培されているというので、栽培が禁止されたという。話によると、市会議員だれかが環境部に苦情を言ったために、おかしなことになったらしい。環境課の管理地である以上、農業はいけないというのだ。

 その市会議員はどうやって管理をすればいいというのだ。費用もないのだ。ボランティア活動で管理をしてきた。その市会議員など、一度も参加したこともない。背景には何か不愉快な意図があるように思える。農の会にかかわることには、何でもかんでも邪魔したいという人間がいる。

 まあ、欠ノ上田んぼを見てもらいたい。有機農業で10年間畝取りを続けている。地域の平均収量を20%多い。条件の悪い、棚田である。この実績だけは、見ればわかる。これが不愉快と感じる人間がいるのだから、地域というものは怖い。

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