100㏊の大規模有機農業

有機農業の大規模農業が登場している。10㏊を超える有機農業が全国に、数百はあると思われる。北海道の大規模営農組織では、1000㏊の経営を目指しているという。このことは3㏊ぐらいの普通の農家では経営できない状況が迫っていることを表している。
農水省によると2020年時点で、国内には2万5200㏊の有機農業耕作地がある。全耕作地に占める割合は0.6%だが、「みどりの食料システム戦略」ではこれを、2030年には6万3000㏊、2050年には100万㏊(耕地面積の約25%)にまで拡大する目標という。
その鍵を握っているのが、大規模経営の有機農業企業だろう。稲作や麦や大豆の経営も10㏊を超えた農家でなければ、経営できない時代が近づいている。それは世界では当たり前の事で、日本の農家経営が小規模経営で来たことが、世界的に見れば特殊な形態だと思われる。
その特殊事情の一番は兼業農家の占める割合が大きかったことから生まれた。専業農家が極めて少なく、大半が兼業農家という事情がある。専業農家以外無理な状況であれば、規模拡大か廃業していただろう。出稼ぎという形で3ちゃん農業が始まった。一家の中心の働き手が都会へ出稼ぎに行く。そして、工場が農村の人口を当てにして進出し、工場労働者を農家から募集をした。
その後3ちゃんどころか、父ちゃんも母ちゃんもどこかに務めながら、農家を継続するのが普通の形になった。こうして農家としては本来経営できない規模の農家が、中心の農家の形として日本の食料生産を支えてきた。JAもその形の農家経営を支えてきた。農家は土地と結びつきが強いということもあり、自民党の支持母体でもあった。
利益が出ないでも経営を続けてきた小さな農家がいよいよ、消滅を始めた。農業者人口の減少期に入った。農業者数は一気に減少し、耕作放棄地も急激に増加している。農業者の減少によって、地方消滅と言われるような、農村部の地域が形成できなくなる事態が迫っている。
地方活性化ということを政府は政策に挙げ続けているが、効果は上がっていない。地方では中心都市への集中が起きて、農村部である中山間地域と呼ばれる周辺部の過疎化が進んでいる。過疎地域のインルラである病院、学校、商店、道路が危うくなってきて、人が住みづらくなっている。
過疎が進む地域で、登場してきているのが大規模な企業農家である。政府も大規模な企業農家の経営を推進している。農地が集積しやすくなっている。様々な補助金の制度も用意されている。世界の農業規模を見る。日本の平均農家面積は2,7㏊。これでも随分大きくなったのであって、昔は0,3㏊と言われた。世界は一般的に100㏊前後と見ておけば良い。オーストラリアでは3000㏊超え。
面積的に大規模化しない限り、日本の農業の経営が成り立たないことははっきりしている。農業は大規模な機械で行われたほうが生産性が高い。それは日本でも世界でも同じことである。一台の機械が効率よく使われるためには、大規模な農地ほど良いということになる。
かつては日本と同じように小面積農家であった中国も、今や大規模農家が中心の経営規模に変わっている。一つの村が一つの農業企業という形を取り、規模拡大している。同時に意欲的な農業経営者が登場し、農地の集積を行っている。ロシアまでその手法で進出している。
日本でもやっと大規模農家が生まれ始めて、100㏊の農業企業の中には、有機農業を行うところも出てきている。その結果大規模農家が行う有機農業の技術が徐々に整理されてきているところだ。稲作で考えると2回代掻きの稲葉式を展開している農場が多いように見える。
もちろん農業技術に於いて、日本特有の問題がある。アメリカの水田の規模は一区画で10㏊もあるという。田んぼ十枚で100㏊農家である。この規模に見合う大型機械で農作業が行われている。日本で一番大きい田んぼは1区画7,5ヘクタールの印旛沼水田と、佐倉市臼井干拓 ではないだろうか。機械は大型というより中型機械なのだ。
日本の農地で一枚10㏊規模の水田はなかなか難しいだろう。それでも大規模農家でなければ、経営が不可能である事がますますはっきりしてきている。石垣島では一枚1㏊の田んぼすら地形的に難しい。また所有者の整理がなかなか付きにくい。
生産物は生産規模とは関係なく競争しなければならない。しかも、大規模農家が政府から補助を受けやすいということもある。小規模農家の生産物が競争できなくなるのは、目に見えている。この状況では大型化する道を模索するか、廃業するか。決断が迫られているということになる。
これから大いに大規模な有機農業農家の農業技術に期待しなければならないだろう。農水省は有機農業技術の研究をどの程度しているのか、心配になるが大丈夫だろうか。技術的に解決がされれば、既存の大規模農家が有機農業に転換するだろうことははっきりしている。
経営として農業をとらえている企業的農家であれば、当然生産品が高く販売できて、利益率の高い商品を生産するようになるだろう。そうなれば、2050年の有機農産物25%も決して夢物語ではない。ところが現状では有機農業技術を研究する県の農業センターはない。国の研究機関も本格的な研究はない。
大規模化が進むであろうし、進んで欲しいと思う一方で、小さな農業も残って行かなければならない。それは日本の農地は大規模化できないようなところが多いからだ。大規模化出来なければ当然生産物は競争には勝てない。そこで小さな農業は自給目的や、一工夫した農業と言うことになる。
自給を中心として、独自の製品を販売する形である。例えば私のように小さな養鶏を行えば、卵焼きまで作るとか、鳥のスープを作って販売するとか、プリンを作るとか、卵ケーキを作るとか、卵かけご飯のお店をやるとか。大規模農家には出来ない、小さな農家ならではの発想力の勝負である。
基本を自給として、小規模な経営は色々考えられるだろう。小さな農家がなくなれば、瑞穂の国日本が失われる。瑞穂の国の文化を残せるのは小さな農業である。小浜島で田んぼをやられていた方が、自分が五穀を作らなければ豊年祭ができないだろうと言われた。この思いは失ってはならない。
八重山の古謡に唄われる稲作文化は田んぼが無くなれば、死んだ豊年祭の形だけのお祭りになってしまう。日本独特の0,3㏊の小さな農業も残して床なければならないものだと思う。小さな農業がなくなる日本は余りに寂しすぎるだろう。