25年後の日本

   

 草の中の田芋。なかなか成長しない。田芋は肥料食いだと言うから、草が良くないのだと思うのだが、草を取ってしまうと風で葉がちぎれてしまう。それでもすこしづつ成長を始めたようにも見える。ともかく根気よくやってみるほかない。

 25年後の日本は、人口減少がさらに進んでいるだろう。私が生きているとすれば100歳を超える2050年には一億人を割っていることは確実である。もう一つ確実な予測は日本政府の借金は今よりさらに大きく成っていて、財政破綻寸前という絶望的な気分だろう。借金は大嫌いだ。

 3つめの確実な予測は日本の世界での経済の位置付けは10番にも入らなくなっていること。経済の衰退は日本だけでなく、アメリカは世界二番目の国になっている。「二番ではダメなんですか。」と蓮舫議員に言われそうだ。アメリカがトランプ大統領を選んだと言うことは必ずそうなるということである。

 アメリカ人が弱まっているのだ。移民の流入がアメリカの成長の原動力であった。アメリカ農業は移民の安い労働力で生産性を上げ、世界に食料輸出を続けてきた。そのために日本の食糧自給は崩れた。あらゆるものを受け入れる自由な社会がアメリカが、世界一にしたのだ。

 25年後には中国が世界一の大国になっている。日本政府はアメリカの対中国経済戦争に従軍している。だから、日本という独立した経済を構築できない。本来であれば、次第に大きくなる中国との経済関係を強化して行くのが、当たり前の事だ。実際に日本企業は中国から離れることはない。

 世界経済の中心がアジアに移っているだろう。欧米先進国全体が相対的に経済的衰退に入って、日本だけでなく、10番以内に入る国は無くなっている。現在理想のように言われている北欧諸国も、同列に衰退していると考えて間違えがない。

 25年後のアフリカは一気に人口を増加させ、急速な経済成長国になり始めているはずだ。東アジアの先進国に追いつこうと急速な、国の成り立ち立ちからの変化が起きてくる。アジアとアフリカで経済の覇権争いが起きているのではないだろうか。

 但しこの25年後の予測は世界戦争が起きて、人類が滅亡していなかった場合だ。これから25年感の間には、第3次世界大戦が勃発している可能性もある。想像もしたくないが、日本がアメリカに押されて中国と戦わされていることもかなりありそうだ。早くアメリカと手を切ることだ。

 問題はあるだろうが、できる限り静かにアメリカとの距離を取る。アメリカが日本に原爆を落とすことはないだろうから、見えないくらいの速度で、アメリカとの経済関係を弱めて行く。その分、中国との経済を見えないくらいの速度で緊密化させて行く。当然習近平はいない。

 欧米先進国の後退は、何度も書いているが、コンピュター革命後の世界への移行へのゆがみである。欧米諸国を中心に日本も、産業革命後急成長した資本主義の終末期にはいる。格差の拡大から各国の政治状況は不安定化する。そして暴動も頻発し、侵略戦争を企てる国も表れてくる。ロシアの状態はまさにその行き詰まり現象なのだろう。

 ただし、これは悪い方角に進んだ場合の推測である。楽観的に考えれば、経済の縮小安定をする可能性はある。拡大再生産を放棄した場合である。経済成長を絶対としない社会を受け入れた場合である。幸せな暮らしの国を目指すように、進路変更が出来た場合である。

 日本で具体的に言えば、コンピュター革命を何とか受け入れて、生産性が回復した場合である。本来であれば、日本人は外国文化の受け入れが見事だった。中国文明を一番生かした国が日本だ。ほどよい距離感で、日本的に変容させながら、花開かせた。

 明治維新後の日本は欧米文化と、産業革命を巧みに受け入れ、いち早く近代日本を立ち上げることが出来た。もし軍国主義が歪んだ形で暴走しなければ、日本は欧米文化を生かし花開かせる国になっていたはずだ。今またアメリカの軍国主義に利用されかかっている。

 現状では外国人労働者を入れて、経済成長を図るほかないと言うのが、日本政府の愚かな選択である。それはアメリカが今に成って、不法移民排除を主張する大統領を選んでいる。その失敗の道を歩むしかないというのでは、日本らしくない。経済だけに目がくらんではだめだ。

 人口増加がなくとも経済を維持できるのが、コンピュター革命である。コンピュター革命を早く受け入れられるかが、日本のこれからの鍵になるのだろう。今のところ後れを取っている。それが日本の生産性が、急激に落ちてしまった理由である。

 マイナンバーカード導入の、政府のやり方のあまりのドジを見れば、まだまだ革命について行っていない。今やICチップを埋め込んでいる人間がいる国さえあるのだ。東アジア、東南アジア、経済成長がめざましいのは、コンピュター革命の波に乗っているからだ。

 農業分野に於いても、どこまでコンピュター化が出来るかである。労働力の減少は、農業ロボットの開発、転換になる。外国人労働者は給与が安い日本には来てくれなくなると考えて置いた方が良い。どこまで生産性を上げることができるかである。

 コンピューター農業に転換できるのかが、今後の課題になるのだろう。田んぼの水管理が自動になるのは当たり前だ。水温管理や土壌管理も人間の業に頼る時代は終わる。どこの国がコンピュター農業に変われるかで、農業の生産性に大きな差が付く。

 人手がないから外国人労働者を入れようという発想を今頃しているから、日本は衰退期に入ったのだ。日本は遅れたことを自覚して、農業の大革命をやらなければならない。大規模化でも機械化でもない。作業はどこか遠くのコンピュター司令室からの遠隔操作である。

 そして、生産が人間の手から離れれば離れるほど、一方で注目されるのが自給農業である。幸せの国では、労働というものが、喜びに繋がるものになる。労働に対価が有り、価値に変換されるんではなく、働くこと自体が楽しみになる。

 ゲームで時間つぶしをするよりも、畑で身体を使い働くことが充実した時間を生み出すことになる。自給農業では能力競争から人間が脱却できる。人間らしく生きるという事を、生きる目的に出来る時代が来ているはずだ。人間が競争心を捨てることが出来れば、豊かな暮らしを生きる事ができる。

 対価のない労働こそ、人間の生きがいになる。絵を描くこと自体が生きる喜びになる。畑で作物を作ること自体が、生きる喜びになる。幸いなことにそう生きていて、それだけで良いと思える。人との競争などつまらないことだ。自己探求が一番面白いのだ。

 

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