諦めたら全体主義になる。

日本では有権者の半分しか、投票に行かない。以前は7割を超える人の投票が行われていたのだから、このところ民主主義が成立するぎりぎりの投票率になっている。50%を切れば、半分の人の意志が示されていない。つまり、与党支持者は有権者の25%と言うことになる。民主主義が危ういと考えた方が良い。
投票に行かない理由は投票に行ったところで何も変わりはしないという気分が、若者を中心に広がってきたからだ。投票などめんどくせー・どうせ無駄なことだ。となったのではないか。そんな気分に成るのも、無理とは言えない。説明責任を果たせば終了。などと言う、ごまかし政治がまかり通る、歪んだ独裁政治が近づいている。
パー券キックバック問題は、派閥解消の問題などでは無い。派閥を解消しようがしまいが、裏金問題には関係が無い。自民党政治には裏金がいるのだ。政治家はお金を必要としているのだ。お金で人を動かすののが、政治になっている。日本人がお金でしか動かなくなっているとも言える。
政府は今のままが一番の希望なのだから、選挙で何かが変ることを避けるのが当たり前だ。それは香港も自民党も何も変らない。選挙など行ったところで無駄だ。と国民みんなに思い込ませれば独裁の成功だ。半分の人しか選挙に行かないと言う状況は不満がたいしてないから。そうとは到底言えない。
投票率が半分以下になったら、選挙を無効にしたら良い。その程度の関心しか政治にないと言うことは、選挙制度が無意味化していると言うことでもある。最近の地方選挙では無投票と言う所が多くなっている。村会議員になって村を何とかしようという人が居なくなってきているのが実情だろう。
政治に関心が無くなると言うことは、民主主義が成立していないと言うことになる。民主主義は国民全員が、自分の意志で参加しなければならない。自分が作っている国だという意識が、民主主義には必要だ。民主主義を守ることは国の安全保障とも言える。
これもまた議員になったところで、何も変りやしないという気分がある気がする。その原因は民主主義の形骸化だ。例えば、沖縄では住民投票結果が国によって無視されている。辺野古では73%の人が米軍基地は拒絶したのが民意である。この住民の意思が踏みにじられる民主主義があるはずがない。
石垣島では住民投票を行えば、自衛隊基地が拒否されるという理由で、住民請求が無視された。住民投票条例の不備が原因であるとごまかして終わり。まあ、行政や裁判所が、上手く屁理屈を付けて、間違いなく反対の多い自衛隊基地を、投票させないようにしたのだ。インチキ民主主義だ。
こうした民主義の芽を摘みとる行為を、政府は政治手法として行っている。またその行為を司法も同調している。官僚は従っている。三権が一致して民主主義を捨てている。これでは投票に行ったところで無駄だ、何も変らないと言うことの方が、正しい判断と言うことになる。つまり、政治への無関心は政府の政策の一つだ。
その総合的な結果が、日本国の停滞と言うことに成っているのだろう。どうせ何も変らないという気分は、何をやったところでたいしたことは無い。こういう厭世気分を生んでいる。だから、何でも頑張った所で仕方がないと言うことだろう。当然生産性は低くなる。
頑張れば変る。これが民主主義には不可欠な世界だ。選挙が死んでしまったのは、自民党のパー券キックバック方式がよく表わしている。政治にはお金がかかるというのであれば、どう政治にお金を使ったのか分かるようにしなければならない。所が分からないようなお金が政治には必要という意味だ。
つまりここで言う政治は、政治には買収行為が必要だと言っているのだ。だから足の着かない裏金が必要になる。こうして国会議員は子飼いの地方議員にキックバックで手に入れたお金をばらまいている。時々ばれて、逮捕される人も居るが、ほとんどはばれずに何十年も続く、慣例になっている。
子飼いの地方議員は票のとりまとめというのをやる人だ。地域のお祭り、葬式、結婚式、就職の世話。困りごとの相談。いわゆるどぶ板踏んで、面倒見が良い。世話になったあの人が言うのだから、選挙では言うとおりに一票を入れると言うことになる。これにお金がかかる。
議員の多くは何かをするために議員になるのではなく、議員になりたいから議員になる人だ。議員をステイタスだと思い込んでいる人だ。良い就職先だと思い込んだ人だ。アイドルになりたいという、中学生の希望と大して変らない。ちやほやされたいという人達だ。
日本も活気のあった時代はこんなではなかった。立派な人が政治家にも居た。日本を何とかしたいからと言う、自民党議員もいた。それがおかしくなってしまった理由は、政治に関心を失わせることに成功をしたからだ。あの民主党政権の失敗が大きかった。
政権が野党に変ったところで、何も変らないという状況を官僚が作った。官僚にしてみると、どうせ自民党に戻ると思って、民主党に協力をしなかった。多分いくらかいた民主党協力官僚は、政権が代わり左遷されたのだろう。もうそれからは、官僚は政府の補完勢力以外の何ものでも無い。公文章の書き換えすら指示される。しかもそれをした人が、国葬になる日本。
しかし、ここで諦めたら全体主義になる。脅かしでもデマでもない。当たり前に迫っている近い未来の話だ。無関心が全体主義を生むのが、資本主義末期の世界だ。民主主義を取り戻すことは難しいことではない。自民党と公明党には投票しないだけで良い。
嫌なものは嫌だと選挙で表明すれば変る。説明で済まして貰っては困る。政治のお金は、すべてクレジットで動かすことを義務ずける。パー券を買和されるお金も、クレジット払い。その集めたお金をどう使ったのかも、クレジット決済払い。そうすれば、子飼いの議員にお金がばらまかれることはなくなる。
民主主義は投票する一票の行為で変る。野党は政治資金クレジット法案を提出しろ。どうせ自民党は屁理屈を言ってごまかすだろう。しかし、自民党は行き詰まる。そうしたらみんなが野党に投票して、政治のお金はクレジット以外では動かなくさせる。
野党が政権を取れば、日本の経済はさらにひどいことになる。確かにその可能性は高い。完了が協力をしないのだから、一時さらにひどくなるだろうが、それでも全体政治よりはましだ。そうして、もう一度最初から政治を変える必要がある。