奨学金を2人に一人が受給している。

   



 奨学金で自己破産というニュースを読んで、怒りが湧いてくる。こんな社会にだれがした。学びたいという意欲がある者に奨学金があるのは良いことだとは思う。しかし、それが返せないほどの高額になるのは間違った社会だ。大学の学費は無料がよいとも思わないが、働いて大学に行けるぐらい安いとよい。

 私が通った頃は月千円だった。大学は楽しかったし、学び成長できたと思う。大学にゆけて良かったと思う。素晴らしい人と出会えた。魅力的な人と出会えた。自分のだめさも痛感できた。でもだめで悩みながらも、十分に生きることができた。
 今の大学の学費は百倍以上で高すぎる。慶応大学の学長が主張するのは、国立大学の学費を150万円にしろという意見だ。月々12万円の学費を稼げる学生がいるはずがない。一人の学生が大学で学ぶには300万円が必要だからその半分ぐらい出すべきだという意見のようだ。

 大学教育も受益者負担という考え方である。大学教育を受けた恩恵は当人のものだから、教育を受けたものがその分を負担すべきだという考えだ。これは教育者の思想ではなく、予備校の経営者の考え方だ。教育機関には教育に対する理想が必要だ。経営で動いてはだめだ。福沢諭吉は慶応大学をなぜ作ったのか。

 教育は社会のための物だと考える必要がある。個人が生きると言うことは、社会を構成すると言うことになる。教育はより良い社会を作り出すために、社会を構成する全員に、学んで貰わなくてはならないという理念だ。それが義務教育である。義務教育は権利として等しく無償で受けることが出来る。

 それでは高校はどうだろうか。高校の学費支援制度は最近かなり進んできた。基本的に学びたいものは無償で学ぶことが出来る条件が生まれている。公立私立にかかわらず、保護者の年収にもよるが、学びたいものが学べる態勢になった。完全無償化も近い。

 問題は大学の学費が国立でも150万円に成るのであれば、18歳の若者が自分の能力では大学には通えないと言うことになる。大学は18歳以上の成人が自ら学ぶために通う場所なのだ。大学に行くのであれば、自分の力で行かなければならない。成人した人間なのだ、保護者の問題ではないと考えるべきだ。

 国はそれを可能とする制度を作るべきだ。友人の首藤さんという人がいる。高校を出て3年間働いて学費を貯めて早稲田大学に行った。昔は苦学するという言葉が有り、そうした人は居た。またそういう人を助けてあげようという人も居て、苦学が可能な社会だった。私も奨学金で助けられた人間である。

 返済しなければならない奨学金を借りている学生は(全学生のうち)30〜40%と推計される。日本学生支援機構が貸与する奨学金のうち、第二種と呼ばれる奨学金は上限3%の金利が付き、連帯保証人か機関保証が必要になる。返済できなければ自己破産になる。

 せめて当面は金利を国が負担すべきではないのか。大学の学費も月に1万円くらいまで下げるべきだ。それでも生活費など必要になる。奨学金制度は国が保証人になればいい。学生アルバイトは本末転倒言う意見もあるが、自分で稼いで大学に行くのは悪くはない。

 2017年に給付型の奨学金がスタートしたが、受け取れる条件が世帯年収約461万円未満だ。大多数を占める中間層は対象にならない。日本は高等教育費の公的支出の割合が他国と比較して著しく低い。日本の社会は大学へ行くのは受益者負担だから、当人に責任があるという考えなのだ。

 行きたいものは大学に行った方が良い。私が私になったのは、大学の4年間が一番濃い学びの時間だった。ひたすら学び、絵を描いた4年間が自分というものを作り出してくれた。そのままにその後の50年を過ごして、今に至っている。笠舞の下宿で目が覚めたら、石垣島だったという感じだ。

 そもそも自信もなかったし、たいした人間ではない。大学では埋没した人間であったと思う。ただ自分流に日々を精一杯生きていただけだ。自分であるという原点を見つけた時間だった。特別な能力などない人間が、落ちこぼれながらなんとか、ここまで生きて来れたのは、大学時代の暮らしがあるからだ。

 教育が受益者負担という考え方の元にあるものは、大学が就職予備校化しているからだ。本来大学に行くのは就職のためではない。学問を学びたいからである。学問を学ぶこと、自分の生き方を模索するためである。大学では良い友人や良い先生との出会いがある。そして、ひたすら没頭できる場と時間がある。

 同じ道を模索する人間の輪の中で学ぶことが生涯の生きる力になる。私は井上靖の書いた、「北の海」の旧制4高の柔道に打ち込む生き方に感銘を受け、金沢大学に行ってみたくなった。4高の青春はもうなかったが。あったのは学生闘争の渦の中の美術部でひたすら絵を描く4年間だった。

 そのまま、石垣島の今に至る。大学は自分の稼ぎで通った。高校も曹洞宗の補助で通わせて貰った。父は大学に行くならば、後は自分の力でやれと言ってくれた。意地を張り通し、働いて大学に入った。首藤さんが学費を貯めて早稲田大学に行った影響もあったと思う。

 この方とは私がフランスから帰ったときにお会いした。今度は自分がフランスに行き絵を描いて生きる事にすると言われて、尋ねて見えてびっくりした。入れ替わるようにフランスに行った。何か今度はいい加減な私の真似を、真面目な首藤さんがするというので、驚いたのだが、その後どうされたかは分らない。

 奨学金の御陰で学ぶことができたと言うことは、自分のためだけに生きてはダメだという事に繋がっている。どれだけ社会にお返しできたかは分らないが、教師を7年間やったのもお返しの一つと言う思いだった。あしがら農の会を始めたのも、今自給農業の体験農場を作ろうとしているのも、日本の未来に繋がると思うからだ。

 フランスの国立美術学校は学費は無償だった。素晴らしいザバロ先生の下で、一日中モデルさんを描くことが出来るという環境で学ぶことが出来た。何故外国人にまでこんなに良くしてくれるのかとフランス人の美術学校の学生に聞いたことがある。

 ダビィンチはフランスにモナリザを残してくれた。と答えた。フランスに素晴らしい絵は残せないが、良い絵を描かなければ罰が当たる。すべては自分のためだけで生きている訳ではない。生きると言うことは、自分と自分のまわりの人すべての為なのだ。

 考えてみれば生涯で学費というものを払ったのはわずかなものである。ある意味それを当然のことと受け止めて、いただいて学ばせて貰った。この恩恵を忘れずに、社会に返さなければならない一生である。出来ているかどうかは怪しいところはあるが、やれるだけのことはやるつもりで生きてきた。

 私が100歳まで生きて、それでも残るお金があれば、それは奨学金になれば良いと思う。これはまだ25年先の事だから、まともな政治が行われていれば、大学も行きたいものすべてが行けるところになっているのかも知れない。

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