佐藤天彦9段がマスク外しで反則負け

   



 佐藤天彦9段がマスク外しで反則負け。 将棋好きとしてはまたもや、将棋連盟がやらかした。とがっかりさせられた事件。ルールがあまりに杜撰で、決まりの作り方があまりに幼稚である。決まり事を作る時には参加者の善意に依存してはならない。

 定期的に抗体検査をするとか、対局室を徹底してウイルス除去をするとか。マスク意外にやれることはある。マスクが出来ないスポーツ組織は他の手段をとっている。そもそも将棋だってマスクは無理なものかもしれない。

 マスクをすることでの社会的影響を示す期間は終わっている。マスクが不要な場所でも、影響力の強い組織がマスクを率先してするというような状況は終わっている。次のことを考えるべき今になって、何という馬鹿げたことが起きたのだろうか。悲しい事件だ。

(佐藤天彦九段が124手目を指したあと、鈴木大介理事が入室) 鈴木「対局中失礼します」 天彦「はい」(驚いた様子) 鈴木「席はずしてご相談がありますので、一回対局止めてもらって、よろしいでしょうか」 天彦「え? はい」 鈴木「すみません、じゃあちょっと、あちらの方で説明しますので」
>佐藤が対局中にマスクを長時間に亘って外していた。この行為が日本将棋連盟の臨時対局規定(コロナ禍に対応する臨時規定)に違反すると裁定され、本局は佐藤の反則負けとされた。(棋譜コメントより)

朝日新聞将棋取材班 

 

 後味の悪い事件という事にもうなっている。将棋連盟の理事会は将棋指しには任せてはおけない。もし反則負けの根拠がコロナ感染であるのならば。外していることに気づいた時点で、すぐにマスクをしてくださいと、注意するのが、本筋だろう。

 突然反則負けという事はあり得ないだろう。時計係にマスクを5分以上外していたら注意するというくらいの、指導をしておくべきだろう。注意してもマスクをしないための失格という事ならありうる。ルールを作った以上、30分以上していない状況が起こらないようにするのが将棋連盟の仕事だ。この状況を黙ってみていたことがおかしい。

 反則と判断できるたぶんかなりの時間の間、管理者はマスクを外しているのを黙ってみていたということになるのだ。何という感染対策の落ち度かという事になりかねない。外していれば将棋が感染リスクがあって、問題があると考えたためにできた規則なのだ。

 このマスクせずの反則負けの落ち度は対局を管理している将棋連盟に主としてある。将棋の終盤で必死になっていてそれどころではなかったのだ。私も大会に出たことがあるから、将棋以外のことは見えなくなってしまう事が分かる。将棋指しであれば、そのくらいの棋士の状態が理解できて当たり前のことだろう。

 以前、将棋連盟ではスマホによるカンニング問題があった。この時も疑わしいというだけで、何の確かな証拠もないのに失格処分にしてしまった。頻繁に席を立つのがおかしいというだけだったのだ。そして対局者からの聞き取りと、棋譜から見て人間の指す手順ではないという事になった。全くの主観的判断だ。

 そんなことをするような人ではないのに、ひどい処分をしたものだ。スマホの持ち込み禁止すら将棋連盟はしていないで、この時も突然の失格だった。そもそも、2日制の対局であれば、夜部屋でスマホを使い研究が出来るという、ずさんな前提があったのだ。

 結局不正行為はなかったというのがのちの発表であった。しかし一度疑われた人権の回復はない。その人はその後疑った人たちを連破して、面目を一新した。そもそも一人で研究するタイプの人で、コンピュターの差し手を早くから取り入れていたに過ぎない。

 マスク敗戦はもう取り戻せないだろうが、これは将棋連盟の責任を問題にすべきことだ。スマホ事件では理事長が交代した。相撲協会でも外部理事の登用が問題にされた。同じことだ、将棋指しは立派な頭の良い人が多いのは確かだが、やはり社会常識には不足があるようだ。

 法律家でしかも社会常識のある人を、理事として入ってもらう。その上で、こういう規則を作る時に相談できるようにしておくべきだ。こんかいA 級順位戦の最終ばんだから、深夜だったはずだ。誰もビデオをチェックしていなかったのだろう。

 ルールを作った以上それを運営する組織は、充分な対応策をとってことに当るのが必要だ。審判がその場にいないで処理ではどうしてもすっきりしない。一言時計が仮に声掛けをするように、指導しておけば済んだことだろう。何とも不十分で不愉快だ。

 決まり事などないことに越したことはない。私はその昔絵の大きさが大きすぎるというので、水彩連盟で出品拒否されたことがあった。その時は自分で紙を漉いて作品を作ったために、わずかに紙の大
きさが越えた。その時天下をとったように得意顔で、違反違反と騒いだ人の得意げな顔を今も覚えている。

 それほどそんなことに拘るとは思いもしなかった。芸術とはそんなに了見の狭いものなのかと驚いた。水彩連盟で自分で200号を超える紙を漉いて作品を作ったものは過去にも未来にもいないだろう。その作品を拒否したという事実は残る。出る杭を叩いたのだろう。

 組織が何のために決まりを作るのか。決まりなどないほどいい。決まりを作るとその決まりに縛られて、今度は将棋の勝負の大切さを損なわれる。芸術の自由が損なわれる。悪い決まりが一人で歩き始める。人が集まっても決まり事などではなく、組織が健全に運営されるものでありたい。

 果たしてのぼたん農園はどうだろうか。明文化されたルールはない。あしがら農の会も明文化されたルールはない。水彩人には規約がある。のぼたん農園は結局私がルールになっているのだろう。そうなると習近平か。よほど気を付けなくてはならない。

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