小田原の農作業

   



 6月25日、大豆の会の播種が半分終わった、総生寺裏の1反の畑。参加者は20人を超えたぐらいの人数だった。その前に早朝、欠ノ上田んぼの畔の草刈りをした。それに続けて、マゴノ森の草刈りを行った。すでに大勢が始めていた。涼しい内にやった方が楽だ。

 それぞれがどんどんやっていた。なにしろ、渡部さんは数日前に一通りの草刈りを事前にしたというのだ。雨の不安があるのでということを言われていた。今日の為である。理屈ではなくそういう気持ちが重なって活動が支えられている。

 まごのりさんとはゆっくり話も出来なかったのだが、マゴノ森がきれいに管理できるようになったことは喜んでくれていると思う。草刈り仕事は皆慣れている。草刈り機はほぼ全員が持っての参加である。20台を超えた草刈り機が1時間動けば、広いマゴノ森も一気にきれいになった。

 今回は六日間の小田原だった。短期間だけ小田原に来ることに、慣れなければならない。次に7月に来るのも短期間である。短期間気分転換に来るくらいの気持ちでいないいけないと思っている。もう少し小田原で作業がしたいがそれも出来ない。水彩人展のある9月は、1か月ぐらい小田原暮らしになる。水牛のことも心配になる。

 石垣ののぼたん農園も心配だし。なかなか十分なことはできないが、みんなにお世話になっている2地域居住なのだ。出来るだけこの体制で長く続けたいと思っている。私の役割もほとんど無くなってきた小田原生活だが、もう少し面倒を見てもらうしかない。まだ、幾らかは役に立てることもあるだろう。

 それにしても、家を管理してくれている渡部さんにはお世話になるばかりだ。今回も随分世話になった。それに見合うだけのことは到底お返しできていない訳だが、渡部さんにお世話になっている分を、のぼたん農園でお返しするほかない。

 のぼたん農園を自給農業の修学院離宮にすることが目的地だ。日本も世界も、転覆しかかっている。そんな警告をいくら発したところでもう無駄なような気がしている。しがみ付きたい人たちは不安が増して、強権を望む事になる。この先、政治は悪いところに落ち組んでゆく公算がつよい。

 ささやかなことでも、できることをやるほかない。私にあるのは自給農業の技術だ。たぶん経験のない人が、楽をしてお米を沢山とる技術は誰よりもあるつもりだ。これを伝えて役立ててもらう場を作るのが私の役割だと思う。まだまま船出したばかりの、のぼたん農園は方角は定まらない。なんとか形が定まるまでやり切りたい。

 と言っても体が動く間という期限がある。いつ病気になるかもしれない。何しろもうすぐ73歳である。それでもあと4年半頑張れるつもりだ。役割を全うするまでは、病気にもなれない。毎朝禅体操をして、身体を維持するつもりだ。

 今回の小田原ではまず、24日の夜に田中康介さんお通夜。これは悲しいお通夜だった。同志を失ったのは苦しい。康介さん本人が一番無念なことだったと思う。微力ではあるが遺志は引き継ぐつもりだ。康介さんのようには行くわけもないが、一緒に作った舟原ため池は必ずやり遂げる。

 最後にお会いして一緒に作業できたのも、溜池の草刈り作業だった。もうあの時は辛かったのだろう。長い闘病生活だったが、余りみんなに会いたくなさそうだった。それで私も会いに行かなかった。今思えば無遠慮でも会いに行きたかったが、そういう人だというのが、私の田中康介さんという人の理解だったので抑えた。

 思い出せば、欠ノ上田んぼを作ったのも康介さんのお陰である。自治会長の山口さんに繋いでくれたのも田中さんだった。田中さんの尽力がなければ進まなかった。地域の人が地域のために頑張ると、地域が動き出すという姿を見せてくれた。小田原という伝統の深い地域の中で、百姓として地域のことを動かすという事をやり抜いた人だった。

 私のようなよそ者にはわからない大変さがあったに違いないと思う。そういう事は決して口にする人ではなかった。強い人だったのだと思う。私を久野に惹きつけてくれた、久野の環境を守る会の人たちも、少しづつ亡くなられている。さよならだけが人生かとしみじみ。

 26日は田んぼの畔の草刈りは、朝の涼しい内でなければやれないほどの暑い日だった。引き続きマゴノ森で草刈りをしたことになる。欠ノ上田んぼは良い状態だった。コロガシが徹底して行われていて、草が少ない見事な状態。過去にないほどの見事な水管理。コロガシをしたり、草刈りをしたりしながら、田んぼに入ると田んぼが良く分かる。

 一本植えの苗が、開帳型の分げつを初めていて、見事な成長ぶりである。直播田んぼも悪くない。この後直蒔きがどうなってゆくのか興味深いものがある。小田原と石垣で並行して試せることはとても参考になる。直播の部分と田植えした部分の違いを見ると、直播は滞りのないという事がわかる。但し蒔き過ぎがどう悪影響になるか気になる。

 田んぼのころがしは26日午後の作業になった。午前中は田んぼの畔の強化だった。9番田んぼの草とりも少しやった。中に入ってみると小さいコナギがあった。小田原の田んぼの畔と石垣の畔は全く違うと思った。畔管理は小田原は大変な作業になる。

 コロガシは柿の下のAたんぼ。田んぼには入ってみなければわからない。その意味で、入って転がすと状態がわかる。まだ柿の下の土壌は十分な田んぼ土壌になっていない。土に粘りが少ない。それでも分げつは良くしている。ここまでは順調である。



 28日の午前中は舟原溜池の草刈りである。一ヵ月の間にかなり草が伸びている。毎月草刈りというのも大変であるが、これだけは何としてもやらせてもらう。溜池もだいぶ良くなってきたのだから、もう一息である。廣川さんも来てくれて、渡部さんと3人で2時間ほどで終わった。

 溜池の南東の角辺りに水漏れがある。これを塞がなければ下の溜池には水が溜まらない。石垣の水漏れを止めるのは大変なので、その手前に土を積んで作業道を作ってしまうのが水漏れを止めるには一番良いと思わる。この冬の作業だ。

 28日の午後になったが、玉ねぎ、ジャガイモを石垣へ送った。醤油味噌も石垣に送らなければならならなかった。玉ねぎは確かに一年分の365個以上ある。ジャガイモは段ボール人1箱だけの20キロぐらい。ジャガイモはそれなりには出来が、今年は量がもう一つであったが、面積も狭かった。

 短期間の小田原だったが、それなりに充実していた。田んぼの様子が良かったのが何よりである。来月ん10日ごろには田んぼ観測会をやる必要があるだろう。残念ながら今年は参加できない。梅雨がほとんどなかったという事で、イネはこのあと良くなるのではないだろうか。


 

 - あしがら農の会