農協に入るべきか

   



 農協は新規就農者としては、加入を迷うものである。農協の方でも、加盟の許可を迷うものである。私は現在JA西湘の正会員である。小田原に引っ越す前はあしがら農協の正会員であった。小田原に越してすぐに農協に入れてもらえることはなかった。

  そもそも論から考えれば、農業者は協同組合を作り、自営業者である農家の経済を増進し、連帯して農家の自立を守る必要がある。ところが、そうした共同の原点からかけ離れたところに来てしまっているのが、現状の農協である。

 その為に農業者が入るべき農協が見当たらないことになっているのだ。それならば、新たに自分たちで正しい本来の目的に沿った協同組合を作らなければならないという事にはなるのだが、そんな動くはどこにもない。むしろ、新規就農者の販売先は農協以外という事なのだろう。

 小田原に越したとき、何故か農業委員会から拒絶されて、農家にはさせないと言うことになった。何故隣町の山北町の農業者が小田原では農業者になれないのか。意味不明なことであった。それぐらい小田原というか、当時の農業者の世界は閉じた、農業の未来を見ていないものであったという一例である。

 その理由は農業者であるという事が、特権だと思い込んでいたのだと思われる。特権といえるようなものはどこにもない。にもかかわらず、農業者自身が、農業者であることには、何か守らなければならない特権と言えるようなものが存在すると空想していたのだ。

 だから、新規に農業者になることを希望する者に対して、その特権をかすめ取られたくないので、受け入れたくないという心理が働いていた。理解しがたい心理なのだが、この特権意識が存在した残りかすのような物は、今現在も違った形で継続されている。

 この農業者の特権というアリもしないものが、なぜか日本の農業者保守勢力を形成する一つの縁にもなってきた。団結の旗印のような、何もないのだが、何かあるごとき、団結のための約束事のようになっていた。それもさすがにもう文字が読めない程に薄れてきて、何だったのか忘れられかけている。

 たぶんその特権は農地にまつわる、歴史的な意識に関係したものだろう。農地が資産である。いつか値上がりする。その恩恵を農業者だけが、享受できるという事なのだろう。農地法で規制されている農地の転用という事にもまつわることである。

 農地が値上がりしない、農地を所有していることがむしろ負担になってしまった時代になっても、農業者の中にはいまだに残存している。それは、小作していた農地が進駐軍のお陰で解放され、棚ぼたのように自分のものになったという経験も影響している。もちろん小作人制度はおかしかったのだが。

 すでに隣町で農業者である私を、理由なく小田原市の農業委員会で受け入れないとすれば、それは人権侵害であると小田原市農業委員会に注意勧告が行われた。山北の開墾した農地を小田原の農業委員会の人が大勢で見に来たうえで私を入れないと決定したのだ。

 小田原の農地を借りたいので困っていた。資料を持って横浜の県の農業会議に相談しにいった結果、小田原の農業委員会に注意勧告をしてくれたのだ。もし、このまま農業者にしないのであれば、農業委員会が人権侵害で訴えられれば、敗訴することになると言われたのだ。それで、やっとこさ小田原の農家になった。

 農家にならなければ、農地の貸借が出来ないから、とてもやっかいなことになる。本音としては、よそ者に小田原の農地を使ってもらいたくないという気持ちだったのだろう。こういう意識は今にしてみれば信じがたいものだが、根強く残っていたのだ。

 すでに農地は借り手よりも貸し手の方が多い時代になっていたのだが、やはり、よそ者に農地を貸すというのは、農家としては不安で出来ないと言うところがある。親戚やら同級生ならいいが、どこの馬の骨ともわからない奴に貸すわけにはいかない。だからよそ者が農業者になることを認めない。今でも地域農業委員の推薦が条件になっている。

 農協の方は別段入りたいと言うこともなかったのだが、農協に口座は作る必要があった。準会員という事にまずなった。正会員になるにはどうしたら良いですかとお聞きした。すると、農協は一応地域単位で動いているので、地域の農業者組織にまず入って頂いて、と言うことになっている。と言われた。

 地域の農業者の組織に行ってそこに入れて貰って下さいというと言うことだった。そこで舟原地域の農業者の集まりに聞いてみたところ、ヨソ者は入れないという感じで拒否された。どうしても入りたいと言うことでもなかったので、入らないでそのままにしていた。正直地域に農業者と呼べるような専業農家はなかった。それでも何かを守っている気持があったのだろう。

 7,8年経った頃、突然農協から連絡があり、私が地域農業者になったという連絡があった。まったく身に覚えがなかった。どうも、地域農協役員の引き受け手もいない状況になっていた。専業の農業者もいないのだから当然のことだろう。そこで農業を実際にやっている私の名前がどこかで出たのだろう。

 そ
れを拒否するのも嫌だったので、その時にJA西湘の正会員になり、今も正会員を続けている。JAの役員というのも当然すぐまわってきた。任期の2年間農協の会議に出席させて貰い、総会にも出た。いったいJAはどのような力学で動いているのか、今もって想像も出来ない。

 JA西湘は学校給食に米飯給食を増やせと要求している。私は農協とは別に、地域のお米を地域の学校が食べるようにしよう、という活動をしていたので、いっしょにやりませんかと相談に伺ったことがある。

 ところがこれがあだとなり、JAとの関係はあちこちで悪評を流されるほど悪化した。原因は不明であるが、同じ要求であっても筋が違うと言うことか。自民党としての建前の要求。共産党の要求する真っ当な要求とは、意味が違うという事らしい。背景には利権が絡んでいるという事らしいと後に理解した。公明正大な要求とも違うようだった。

 いったいJAとはどういう組織なのかと常々考えてきた。本来であれば、農業者の集まりである。農業者が共同出荷したり、共同購入する組織である。ところが農協に出荷していたのでは、経営が成り立たない。それに加えて農協の販売品は同じものでもホームセンターよりかなり高い。農協の共同購入制度が生きていない。

 結局農協は農業者から離れてしまっている。しかし、石垣島の状態についてはまったく知らない。農協の売店にしか売られていない農業用資材がある。農協の販売所である、農協のゆらてぃーく市場では良く買い物をする。カードがある法が便利なので、農協に口座はある。特に会員と言うことはない。もしかしたら、準会員というような立場があるのかも知れない。

 JA八重山にイネの種籾をお願いした、ミルキーサマーという品種である。沖縄県の奨励品種だからだ。ところが扱いませんと言うことだった。つまりミルキーサマーを作ってもJA石垣は買い取りませんと言うことなのだろう。奨励品種をそういう扱いにしている農協も珍しくないだろうか。

 石垣島では農業は主要な産業であるから、農協は島の経済にも貢献が大きいはずだ。農協の稲作部会長の方を紹介して貰い、農地を借りるお願いで何度かお会いした。農地の紹介はして貰えなかったが、その方の田んぼを見ると、とても好きで田んぼをされていると言うことが分かった。田んぼが美しい。それで十分という事のようだ。

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