右翼議員の安易な謝罪の意味
自民党の足立区議がこのまま性的マイノリティーの優遇を続けていれば、足立区が滅びると議会発言をした。意味不明な論理で、どういう脈略があるのかそもそも分からなかったのだが、すぐさま議会で前言を取り消し、謝罪をした。
この区議に対する議会の問責は提起はされたが、否決された。こんな議会では足立区は滅びるかもしれない。そんなことも無いか。気になるのはこの区議が何故こんなに簡単に謝罪したかである。最初に差別発言をしたときには自信に満ちていた。たぶん確信犯なのだ。
どこに向けて発言しているのかである。杉田水脈氏はなぜ自民党では「重用」され続けるのか。支持している人がいるからである。それは選挙民の支持であると共に、本音では杉田氏に共感している自民党のおっさん議員が沢山居るのだ。
ーーー上野千鶴子学術会議議員の文章から以下引用
2018年に杉田議員はツイッターでこんなツイートをしている。
《国益に反する研究は自費でお願いいたします。学問の自由は大事ですが、我々の税金を反日活動に使われることに納得いかない。そんな国民の声を受け止めてください》
中傷を受けた4人の学者が原告になって杉田議員を提訴、こんな内容の声明を出した。
<杉田議員は、私たちに対して「反日」というレッテルを多用し、さらには「国益を損ねる」研究に科研費を助成することは問題であると繰り返しています。自らの偏った価値観から「国益」とは何かを決め付けること自体問題ですが、その上にそれを理由に学問研究に干渉・介入することは、学問の自由を保障する民主主義国家において許されません>
どうしようも無いおっさん議員はオフレコでは杉田議員に対してこんな内容をいつも口にしていると思われる。それを杉田議員は公開する訳だ。馬鹿な発言してくれるから、重用されているのだ。分かっていて発言して、謝罪するというパターンなのだ。これが、ネトウヨ姫議員の生業なのだ。
アベ氏も良く責任は自分にあると言いながら、責任は今後総理大臣としての職務に全身全霊で当たり、全うすると繰り返した。つまり、責任はあるが責任は取らないと言うことなのだ。足立区議も謝罪はしたが、こうした差別発言の責任は取らないのだ。杉田議員も言いたい放題だが、何ら責任は取らない。責任を取らせようとも自民党がしない。
ネトウヨの女王杉田水脈自民党議員。この人は数々の差別発言を繰り返している。まさに計算ずくである。こうして右翼世界で頭角を現しているのだ。桜井よしこ氏の後継を狙っているのか。そういえば、桜井よしこ氏「防衛大卒業生は、東大などが大学院受け入れを拒否」していると、デマ発言をしている。
東大の大学院は難関である。防衛大卒業レベルでは滅多に入学できないのが実情だろう。それは大学の難易度で考えればすぐに分かる。国立大の中で、防衛大の偏差値は低い。東大の大学院に行った人がひとりもいない大学などいくらでもある。ネトウヨのお局も耄碌したものだ。
こうしてあえて、間違った発言をして目立とうとする背景には、一部の支持者への女性を生かしたおもねりがある。アベ氏が靖国神社にお礼参りに行ったのと同様である。右翼支持者へのシグナルなのだ。どこの国であれ、どんな時代であれ、一定程度の極右勢力はある。これも重要な自民党支持層なのだ。
ネトウヨには女王、お局も居れば、3姫というのも居るらしい。つまり、ネトウヨは男社会だから、女性という少数派としての存在感がその地位を確立できると言うことらしい。ネトウヨアイドルというのも最近登場したらしい。このあたりは狙い目であろう。オウムアイドル路線というのもあった。極右勢力も社会の縮図である。
こうした少数派はテレビ的には大いに価値があるのだろう。色物である。番組制作上必要なものである。自民党には受けが良いのだから、忖度テレビ局としては大いに利用価値があるのかもしれない。女性が目立ちたければ、女性差別発言をしろと言うことになる。
こうした勢力を醸成しているのは産経グループである。フジテレビである。先日フジテレビの論説委員は学術会議に向けて、誹謗中傷発言をした。この場合は単純な無知によるものらしいが、こんな無知蒙昧な人が論説委員では、テレビ局のレベルの底が知れる。
極右勢力の中にいつもいれば、社会で発言すればとんでもない湿原になるような、妄想もそれを当たり前だと感じるようになる。足立区議会議員はそんな事例だろういつもこんな調子で生きているのだ。足立区が滅びるというのも案外得意台詞なのかもしれない。
しかし、日本の実情はもっともっと深刻なのだ。足立区どころか、日本が滅びる自体なのだ。コロナ感染症の流行で一割を超えるパーセンテージで子供の誕生が減少すると言うことだ。子供が減って行く原因がよく見えたでは無いか。
社会不安である。不安定で未来の見えない社会だから、子供が増えないのだ。未来のことを想像できる人達は、子供の未来を考えている内に、不安が増してしまう。こんな社会に子供を送り出すことで良いのだろうか。安心できないことになる。
世界全体は人口増加である。アメリカは遠からず白人が少数派になると言うことだ。白人の方が富裕層で、教育水準も高い。その結果不安が高まり、出生率が下がる。日本が出生率を高めることが出来るとすれば、希望のある社会が作れるかである。
それは無理だ。平和憲法を改定し、国防費を増加させて、近隣諸国にミサイルを発射できるようにするという政府の国で、希望が持てるだろうか。経済は下り坂。デジタル化は周回遅れ。学問は軽視。一体どこに希望が持てるというのか。出生率が低下して行くのは希望が見えないからだ。
日本は国の方角を変えなければならない。普通に希望のもてる国。競争に勝たなくとも普通に生きて行ける国。差別の無い国。人権の尊重される国。日本国憲法の示す方向に進めば良いのだ。日本国憲法が出来て、それに従い希望に輝いた時代があったのだ。
希望があるから人口が増加した。国中が一生懸命働いて、国力も増加した。国防費はわずかな物であったが、安心な社会だった。昔は良かったという側面もあるだろうが、頑張ればなんとかなると言うことを感じながら生きていた。
生きる自由が確保されていた。大学に進学することも自力で可能な社会だった。フランスに留学することも自分で稼いで可能だった。大変だなどと少しも思わなかった。明らかに時代は後退している。豊になっていると言うより、日本は貧しくなっている。上級国民以外は苦しくなっている。
米中対立の危険な状況の中で、日本は道を誤りそうだ。この対立に巻き込まれては成らない。極右勢力などほんの少数派だ。その少数派がとんでもない目立ち方をして、日本の方角を誤らそうとしている。