マスクとイソジンの殺到買い

   



 イソジンは古いものが家にもある。どれくらいの期間使えるのか。のどがおかしくなったときに相当古いものを使う事があったが、問題は無かった。昔は脱脂綿に付けて喉に塗ったものだ。それくらいいつものどが悪かった。扁桃腺を切除すべきと言うことを叔母が主張した。

 母はそれを頑張って認めないでくれた。良かったと思う。人間に無駄なものなどない。扁桃腺が赤く腫れていたのは何かのシグナルに違いない。虚弱児童と言われていたのは、扁桃腺炎から始まったことだった。だから、イソジンには馴染みがある。

 大阪の吉村知事がイソジンのうがい効果を発言した。途端にイソジンが世の中から消えた。あわてて買った人も多かったのだろう。それくらいコロナにはみんな参っていて、藁にもすがる思いだ。コロナは社会全体を病まいにしてしまった。未病の社会がコロナ病に感染した。

 イソジンをあわてて買った人は、感染するまで使う必要が無い。大事にしまっておけばよい。冷蔵庫にでも入れておいたらいいだろう。感染して、自宅療養と言われたら、使えばいい。吉村知事もそう言ったのだ。予防に使えなど誰も言っていない。

 毎日あれほど濃いイソジンで1週間うがいをしていたら完全にのどをやられるだろう。別段イソジンのうがいはコロナだけではない。普通の風邪でもイソジンうがいは悪くない。赤く腫れ上がった扁桃線が収まることがある。

 風邪で薬を使ったことはない。インフルエンザであろうが、何であろうが、自分の体力で直してきた。薬を使わない主義なのに何故かイソジンがあるのか不思議なことだ。子供の頃から慣れ親しんでいて、喉がおかしいと塗ることがあった。

 イソジンだけではない。マスクも一時無くなった。次の感染症に備えて家庭ごとに、マスクは備蓄する必要がある。マスクだけではない。食料も同じである。お米は又余ると言われている。来期はそれだけ米の生産を減らせと言う農水省の方針と新聞に出ていた。

 そんな目先の判断でいいものだろうか。必ず世界全体では食糧危機が起こる。その時に日本に田んぼがなくなり、稲作にまつわる水路などが崩壊する。そして、稲作生産者がいなくなったら、国の食料安全保障はどうなるのか。マスクとお米では生産法が違うのだ。

 もしお米が余るというのであれば、使うべき場所はいくらでもある。先ずは全国の子ども食堂には国がお米を提供する。そのくらい当たり前のことだ。そして世界の飢餓で苦しむ子供達に食料援助を行う。世界では食糧は足りない。

 稲作の維持は環境政策でもある。水の循環を通して、日本の自然の豊かさを維持している。カリホルニアでは日本人移民が田んぼを作ったので雨が降るようになったと言われている。父の叔母に当たる人はサクラメントの移民日本人のところに嫁いだ。その娘さんはハワイ大学の教授になった。そして、日本に戻ったときにそういう話をしてくれた。

 日本に田んぼがあると言うことは日本人が日本人であるためには必要なことなのだ。日本教というものがあるとすれば、そのご神体はまさしく田んぼである。田んぼを守ることで日本人の共同体意識は産まれたのだ。田んぼを捨てることは日本人を捨てることになる。このことは是非認識しなければ。

 グローバルの時代になればなるほど、地域性というものの価値が高まる。日本人が日本人的であることで世界での存在意義が高まると考えている。それは絵を描いているからこそ、強く感じている。世界における日本美術の評価は高い。それは日本的であるからだ。よりナショナルであることこそ、グローバルの価値になる。

 縄文後期、お米を作ることが日本列島に広がり、弥生時代が形成される。ここで一気に今に繋がる日本的なるものが形成されることになった。侘び寂びと言うような感性は田んぼから形成されたのだ。土偶に見るような強い強烈な感性は、田んぼを作ることによって消えて行く。穏やかな日本人が誕生する。

 埴輪的な感覚である。それは狩猟採取から、蓄積の伴う稲作という文化に変化すると言うことでもある。そして稲作は協働することが求められる。より広い地域の協働がなければ、効率の良い稲作は出来ない。部落と言う共同体の形成。そしてその稲作技術、水土技術の先進技術者として天皇家が位置する。

 天皇家は武力的な権力と言うより、先進技術を持つ統治者だったと考えた方が良い。より生産性の高い技術をもたらしてくれる、水土技術集団をまとめる存在。修学院離宮こそその雛形である。天皇家は田植え時期を教えてくれる存在でもあったのだ。

 イネ作りの生活を支えてくれる重要な存在として天皇家が位置した。このことが天皇家という、権力とは違う文化を持ってくにを納めるという、独特の存在が成立した。文化の力を尊重する日本というものが生まれたのだ。この権力とは違う統治体制は考えてみる必要がある。

 そうした天皇家の位置を大きく曲げてしまったのが、明治帝国主義の天皇家の利用だ。この間違った天皇利用が、第2次世界大戦の敗戦という国を滅ぼす結果になった。文化を忘れた国は何の価値もない国になると言うことだろう。

 今稲作を捨てようとしている日本である。学問を捨てようとしている国である。文化の価値など忘れている国である。今踏みとどまらなければ日本は終わるに違いない。田んぼを続けることだ。これ以外に日本が日本であることは出来ない。

 日本経済は下り坂にある。自転車なら下り坂万歳だが、日本人の心は弱まり、疲弊している。そこに輪を掛けるようにコロナが襲ってきた。多くの日本人がマスクをして、イソジンを買うぐらいしか出来なかった。逃れるすべのない、病は心を潰した。

 もう一度、イネ作りから日本人を立て直すしかない。イネ作りをみんなで行う。違う人同士が協力すると言うことはどういうことか理解できるだろう。田舎社会から、イネ作りの共同性が失われたことが、農村社会を閉塞させたのだろう。

 一度社会というものから離れて、自給自足的に生きると言うことしか、今の日本でしっかりと生きることは難しいような気がする。今が最後の機会なのかもしれない。まだ田んぼのある内に、始めて見たらどうだろうか。もうすぐやりたくても田んぼ自体が失われて行く。


 

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