創造をするという事

   



 絵を描くという事は創造するという事でなければならない。楽しみで絵を描いているわけでも、生計の為に絵を描いているのでもない。創造とはかつてこの世の中に無かったものを作り出すという事と思い込んでいる。

 この崇高な仕事が出来る人はめったにいるものではない。かつて無かったものに至る道は、一人一人違う。楽しんでやっている内に創造している天才もいる。自死してしまうほど苦しんで創造する天才もいる。それほどではないのだが、自分なりに創造に向けて力を尽くしたい。

 才能というものは厳しいもので、能力差はある。もし絵というものを人と較べて考えれば、ダメな人はどうやったところでダメな世界だ。私は絵を描くことは好きで描き続けてきたが、才能は明らかに不足している。それでも絵を描きたい。社会の無駄なような絵であっても絵を描きたい。自分というものを絵を描くことでやり遂げたいと思っている。

 何も特別なものを創造して、他人の為、社会の為になるというようなことでもない。芸術の創造は、目的もなく多様であって良いと考えている。無駄なものでもいいとは言えないが、芸術に無駄などないと考えている。だからこそ、芸術には人間の可能性のようなものが生まれ、受け手によっては何か得ることが出来る。

 創造する人はそんなこと関係ない。それでも別段悪いという事ではない。それも人それぞれによる。しかし、私の芸術は人生をかけたものである。人から見れば、芸術的創造を成し遂げるには能力不足の人間である可能性が高い。然し一縷の望みはある。

 自分にとって生きるという事はかけがいのない一事である。不可能に向って命を出し尽くしたい。だからこそ面白いし、やりがいがある。そういう姿勢だから良いものを創造できたというのでもないのだが。まだ可能性はある。

 創造的である先の作品は人と較べるようなものではない。できた作品がどのように扱われようがそれは構わない。死んで廃棄される可能性が一番高いと考えている。それはそれで、制作者としては受け入れている。そいう作品の運命と、作り出すという制作する意識とは別のことである。

 ともかく自分というものを絞り尽くすという事だけをやろうと思ってやってきたことは確かだ。そうでなければ生きた甲斐がないと考えている。それは途中経過である今までの所でも、絵を描いて生きてきてよかったと感じている。

 今まで制作してきた時間から思えば、もう残り少ない時間であるのだろうが、いままでよりも濃密にやっている。これからの10数年にすべてを凝縮するために、今までの72年があったのだと思う。

 子供のころからの鶏好きで、自分の鶏を作り養鶏をやったこと。食糧自給の為のイネ作りをひたすらやっていること。そういう事もこれから描く絵に繋がっているという実感がある。今小田原の農作業を置けて、つくづくこうした作業から自分が出来てきたと感じる。

 ともかく工夫である。試行錯誤である。これは農作業から得た思考法である。思いついたことをやってみて、その結果を見ては次の試みに繋げてゆく。大半のことは失敗である。農作業は分かりやすい。ダメなら不作。良ければ豊作。

 絵を描くのも同じやり方をしている。同じ人間なのだから当たり前のことだが、他のやり方ができないのだろう。そのやり方が良いなどと考えているわけでもない。絵を描くという時はもう方法論は通用しない。ただ風景を向かい合い、描いているだけだ。

 風景を見ている。見ているだけでもいいのだが、それをあえて、見えたものとして絵にしようとする。これは只管打坐を出来ないので、只管打画をしているという事になる。その結果、工夫して絵を描いているとしか言いようがない。

 そのやり方が間違っているのかもしれないと思い悩むこともある。しかし、他の方法は出来ないようなので、仕方がない。いつか結論めいたものに行き着くとも思えないが、全力で命を費やすという感覚で行きたい。

 明日石垣島に帰り、今度は絵を描く。農作業に没頭したように、絵に打ち込みたい。そう思うと、石垣島の景色が浮かんでくる。ああも描こうこうも描こう。という画面が浮かんでくる。何か早く帰って絵が描きたくなった。
 一年分のお米を今日石垣島に送ることが出来る。この安心は別格である。いくらかの自給であるが。これで絵を描いても許されるというような気持になれる。
 とここまで書いてきて、そうだ創造のことを考えようとしたのだと思いだした。なるほど生きるという事が創造なのだと思い当たる。生きることは誰にとっても芸術である。新しい日々というものが、初めて訪れる時間であり、作り出して行く一日になるという事なのだろう。
 残りの少ない日々になり、そういう事が分かるようになった。今からくる一日は、永遠に続くものではないという事が実感できる。新しく作り出して行く一日になるように、生きようと思う。
 
 

 - 水彩画