レジ袋有料化の馬鹿馬鹿しさ

   


 左側奥が於茂登岳である。山陰で見えない当たりに自衛隊ミサイル基地が建設されている。於茂登岳裾野はかなりの水が湧いている場所である。そこから、水は絞り出て、この川の水となっている。この水は田んぼの水となっている。

 石垣市議会はなんと田んぼに来る水は水源ではないと主張している。汚染しても関係ないと言うことらしい。周辺にはダムもあり、その水が下流域の水源になっている。あらゆることに利用されている水である。何故この水が石垣島の水源ではないというのだろうか。

 7月1日からレジ袋は有料化された。スーパーマーケットに行って、戸惑う人も多いのではないか。これほど馬鹿馬鹿しい環境対策はない。意味の無い悪法である。レジ袋は最終的には燃やせばいいだけのものだ。海洋汚染などレジ袋は起こしていない。海洋に流れ出るプラごみのわずか0.3%がレジ袋というのが、海洋ごみ調査の結果である。

 しかもレジ袋は、燃やしても有害物質が出にくい素材で出来ている。しかも、石油の生成過程で必然的に取り出される材料で作れるのだ。ある意味捨てるもので出来ている面さえある。レジ袋だけを叩くのは政府が環境対策に手を打てないという、負のイメージを取り除くためだけだ。政府は自分の無策を、レジ袋に肩代わりさせているに過ぎない。最近小泉氏の無意味さが際立ってきた。この無意味さに一言あってもいいではないか。それがアベ氏の狙いかもしれない。

 レジ袋対策から始まり、環境全体に目が向くようになれば、それなりの意味はあるとも思えるが、そんな雰囲気はみじんもない。例えば悪玉レジ袋に変わって、善玉エコバック持参をしてスーパーに行く人は何か良い人のように言われているが、果たしてこの環境的計算はどうなっているか。難しいところはある。

 エコバックもレジ袋も大体の場合石油由来のビニール製品である。私のエコバックは綿製品だとい方は少ないのではないか。場合に寄ってはスーパーかご持参の人もいる。私はスーパーに行くときはそうしている。それが一番面倒くさくないからである。スーパーのかごを持参のプラかごに重ねて買い物をする。そのままレジで商品を入れ替えて貰い持ち替えるのである。そうするとレジ前での滞留時間が最小限になる。昔からの習慣だが、コロナの時代には適合している。

 先日あるスーパーでレジ係に持参のプラかごに入れるのを断られた。当店のかご以外には入れない事になっているというのだ。入れるなら自分で入れてくださいと言われた。柔軟性がないのか、おかしな上司がいるのか。このスーパーではレジ袋で儲けようという事か。

 スーパーかごでもエコバックでもほとんどがプラスティクだが、使い捨てでないところが良いわけだ。エコバックの場合、計算上は500回の使用で、レジ袋と並ぶそうだ。確かに、レジ袋が一円でエコバックが500円であればそうなる。つまり、レジ袋500枚分がスーパーかごやエコバックのプラステック量と言うことになる。だからもしエコバックを使うなら、少なくとも三年くらいは使い回しをしなければならない。

 昔から常にレジ袋を車に積んである。今もそれは当たり前のことになっている。どこかでどうしてもレジ袋を貰えば、ただでは捨てない。穴が空いて使えなくなるまで使う。わざわざ袋屋さんにビニール袋を購入していたこともあるくらいだ。大抵は4,5回の利用である。

 そうなると、エコバックとの比較となれば、エコバックは10年使ってトントンと言うことになる。果たして10年使えるものだろうか。私は使っているが、結構ボロボロになって捨てた。風呂屋に行くのも使ったから、毎日使ったという事でもある。それでとても良い中古の革袋に変えた。

 しかも、エコバックは汚れる。時には洗濯をしなければならない。洗えばエネルギーも洗剤も、水だっているのだ。エコバックなどと偉そうな名前を名乗るほどのエコではない。中古の革袋は古びた感じがいいので時々グローブ油で磨いている。コロナの時代である現状では、スーパーのレジ係さんはお客さんの持ってきたかごは触りたくないだろう。触ったらばアルコール消毒だろうか。それで私のプラかごは拒否されたのだ。大変な時代である。

 環境問題はプラステック全体にある現代文明の問題なのだ。レジ袋などと問題を矮小化してはならない。レジ袋の有料化などという生半可の政策しかやれない間は、プラステックは燃やした方がましである。リサイクルやリユースという完全に循環の輪が出来るまでは、どうしてもごみになる。ごみになるくらいならすべてプラステックは燃やすべきだ。ごみの助燃だと考えれば、ダイオキシンの排出削減になるくらいだ。

 ダイオキシン問題で、プラステック焼却が問題視された。当時は焼却炉にバブフィルターがなかったのだ。ごみ焼却炉が立ち上げや消火するときにはダイオキシンが発生した。温度800℃以上、燃焼滞留時間2秒以上、という条件である。これを守ればダイオキシンは殆ど出来ない。

 それで多くの焼却炉が使えなくなった。現状では24時間燃焼や、バブフィルター設置で外部への流出はそれほど大きくはない。プラステックを家で燃やすなら、まず紙を燃やし800度に上げる。良く燃えてからそこにビニールを入れる方がいい訳だ。その時には生ごみなどとは混合しない。

 塩分と一緒に燃やすと化学反応でダイオキシンが発生する可能性が高まる。そもそも塩を燃やせば、ダイオキシンは発生する可能性がある。生ごみを燃やすというのはプラステックと同じくらいのダイオキシン問題がある。生ごみは堆肥化しなければならない。

 一方海洋汚染の方は、もう海の生き物は限界に近づいている。魚が体内にマイクロプラステックをため込み、それを人間が食べているのだ。海洋生物は身体の細胞の中にまで、マイクロプラスティクをため込んでいるという報告もある。

 予測では2050年には海洋生物の量と海洋プラステックごみが同量になるとされている。想像するにもう完全にダメだ。限界は近づいている。地球に人間が生き残ることを諦めるほか無い状況が予測されている。それでもレジ袋の有料化でごまかしを続けるのか。

 レジ袋の有料化どころではないのだ。可能な対策は代替えできる品物すべての、プラステック製品の禁止である。それ以外には人類は生き残る道はない。この最悪の事態を迎えては当面のプラステック製品の全量焼却処分の推進である。ドンドン焼却炉で燃やし尽くす以外にない。

 燃やすのは良いことではない。良いことではないが、人間が自分の浅はかさを見つめる意味でも、プラスティク類の完全リサイクルの方向が見つかるまでは、全量燃焼して、人間自らの愚かさを悲しみ続けるほかない。化学合成物質は極力減らすひかない。

 燃やさないで再生するというならば、完全に可能なのかどうかである。完全に再生処理が出来ない間は、海洋汚染は毎日進んでしている。レジ袋が完全に海に行かなくなったとしても、0.3%の減少に過ぎない。99.7%のプラごみは相変わらず海に流れ出て行く。何故そちらに目を向けないのか。

 これから、世界経済は下り坂になるだろう。コロナウイルスの悪影響は当分続くと考えざるえないだろう。こう言うときに新たに起こるのが環境汚染のさらなる悪化である。背に腹は代えられないと言うことになる。プラスティク製品のリサイクルは一定範囲で止まるに違いない。

 プラステックの使用禁止になるまでの間は、プラスティクは燃やしていかまわないとする以外に現在の解決法はない。生半可なリサイクルで気持ちを紛らわしている場合ではない。

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