日米安全保障条約と憲法9条
日本国憲法は世界に認知された平和憲法である。平和憲法が世界の常識になるように、努力することが日本の方角だと考える。日本は国際紛争に対して、軍事力を持って対応をしないと明言している。しかし、残念なことにそれがまやかしになりつつある。これは日本の安全保障にとって致命的な弱点になりかねない危険なことだ。
憲法9条はアメリカに押しつられた条文だと言われている。その一面は確かにあると思う。同時にその頃の日本は敗戦でつくづく軍隊というものにいやけをなしていたので、喜んで9条を大多数の人が受け入れたのだ。その頃の敗戦に心を潰された日本人の心境を考えるべきだ。
その後朝鮮戦争が起こると、アメリカは日本に対して軍隊を整備して、出兵することを要請してきた。占領軍アメリカは日本を属国としてしか考えていなかったのだ。それでも当時の日本政府は憲法の制限で、日本は軍隊を朝鮮に派兵することは出来ないと、断ることが出来た。これは良い選択であった。
その後も、世界でアメリカが軍力を行使するたびに、平和憲法を変えて軍隊を派兵しろと要請をしてきた。しかし、経済一辺倒で国作りを進めていた日本は、軍事力の増強は一定限度で止め、経済大国に一心に進んだ。経済大国こそ、日本的な安全保障でもあったのだ。
アメリカが軍事力を日本から奪い、9条を押しつけたのは、日本が又軍事国家になることを恐れてのことであったのだが、すぐに属国化した日本のした姿を見て、言いなりになる国ならば、兵隊としての日本の軍事力も当てにしたくなったのだ。この点では日本政府はのらりくらりとしながら、外国への派兵を避けてきたが、ついにイラク戦争の際には、日本は自衛隊を派兵することになってしまった。
アメリカの圧力に押し切られたのだ。イラク戦争におけるアメリカは国連の要請も無いまま、イラクには化学兵器や核兵器が隠されているという、間違った判断に乗せられてしまった。アメリカの圧力でいつの間にか、平和憲法を軍隊を派兵しない理由に出来なくなってしまったのだ。
とくにアベ政権になると、憲法9条を逸脱するような歪んだ解釈を加え、ついには安全保障法制の変更まで行ってしまった。過去最悪の知恵を持たない政権である。アメリカの圧力が強まったと言うより、日本の中にある明治帝国回帰思いがアメリカの要請に便乗したのだ。自民党は憲法9条を廃止して、明治帝国憲法への回帰をしようとしているのだ。
戦争の普通に出来る国家になりたいという気持ちであろう。もし、日本が平和憲法を捨てれば、日本の持つ良さを失うことになる。攻撃手武力を持たないという、日本の安全保障体制が、崩れることになる。それは現状と比べても危うい選択になる。
スイスが世界大戦に巻き込まれないで来れたのは、永世中立国としての認知である。日本もアメリカとの隷属を止め、平和憲法の国として、専守防衛の国の認知をさせて行くことが重要である。それには、攻撃的兵器を持たないこと以外にない。
今や憲法は実に不安定なところに置かれた状態にある。その原因は憲法裁判所が無いからである。政府が一方的に解釈変更をして、海外に自衛隊を派兵できるようにしたにもかかわらず、このことの是非を判断する司法が存在しないのだ。憲法論議をするためには、まず憲法裁判所の問題を議論の初めに行う必要がある。アベ政権は憲法に縛られたくないから、憲法裁判所の設置には論外として反対なのだ。
現状の日米安全保障条約では、日本国内に米軍の基地を提供する代わりに、アメリカの軍事力による日本防衛を図るという取引の形で進んできた。アメリカは一方的に日本の防衛負担を負っているのは不公平だと主張を始めている。トランプ一国主義の了見の狭さだ。
それなら、日本の基地提供の義務はは不公平ではないのか。日本がアメリカの防衛負担を応ずるとして、カリフォルニアに日本国の基地を作れるのだろうか。そんなことはあり得ないだろう。日本の自立のためにもアメリカの軍事基地は縮小して行く必要がある。
アメリカ軍の基地は縮小してゆく。その分自衛隊が、現実主義としての専守防衛の研究をする。これからの時代の安全保障は正面的な軍事力ではなくなって行く。どうやって多国間の安全保障を作り上げて行くか。模索しなければならないだろう。
在日米軍基地負担の70%は沖縄県が引き受けているのだ。もし沖縄の米軍基地負担軽減を言うのであれば、沖縄の税金は軽減すべきだろう。余りにアンバランスである。まずは、基地は無人島に移動して貰うことだ。辺野古基地など論外である。
専守防衛が平和憲法の精神である。自民党政権は的基地攻撃ミサイルの配備を模索している。これは日本を危険なところに落とし込むことになるだろう。現状では憲法違反である。本来であれば、憲法裁判所で判断すべき課題だ。ところが日本に憲法裁判所がない。そのために内閣法制局の長官の解釈で是非が判断される。
その法制局長官は、内閣が決める。政府の意のままになる長官にすればいいと言うことになっている。これが日本国憲法の解釈拡大の歴史である。素直に読めば、日本国は軍事力を保持できないのだ。政府のご都合主義で揺れ動いてきた憲法である。
その意味では、憲法論議は大いにしなければならない。ただし、憲法裁判所を作るという大前提が必要である。そうでなければ、どんな憲法を作ったところで、政府との都合で解釈変更になる。これでは憲法のもつ、政府は憲法に従って政治を行う義務があるという尊厳が失われる。
世界情勢は大きく変化をしている。中国の覇権主義は確かに問題であろう。何故、中国が尖閣諸島の海域に出没して、日本漁船に圧力を掛けるかと言えば、日本の尖閣諸島の実効支配を消したいからだろう。日本の海上保安庁が常駐している現状は日本の実効支配だからだ。
現状では日本の施設はない。中国は日本の実効支配の定着を阻止しようとしているわけだ。竹島のように、韓国の軍隊が常駐していたらそれは、日本がどれだけ竹島は日本の固有の領土だと主張しようとも、竹島は韓国が実効支配している島なのだ。だから、韓国は竹島の領有権を国際裁判所で話し合おうとしない。話し合うこと自体が実効支配を後退させることになるからだろう。
それは尖閣諸島も同じで、現状では日本の実効支配に近い状態である。だから、もし中国軍が尖閣に上陸しようとすれば、米軍も中国軍に攻撃をするとしている。それが、もし現状が変更され中国が実効支配に近づいたとすれば、米軍は日米安保の解釈からも尖閣に上陸する中国軍に対して、米軍は攻撃をしないことになる。
これが、石垣島のどうしようもない、市長と議会がわざわざ尖閣諸島の字名を変更して、少しでも実効支配を書類上でも明確にしようとしているのだ。こう言うやり方は、いかにも韓国の竹島実効支配に似ている。問題を解決することどころか、より深刻化しているに過ぎない。
領土問題を紛争のまま維持しておきたいのは、どこの国も敵対国を作り、政権の意味付けを強調したいからである。中国も国内に問題が山積みであるからこそ、領土問題を表面化させようとする。韓国も同じである。日本も同じである。どこの国にも領土にこだわる浅はかな国民が多いのだ。
本来であれば、領土問題は国際裁判所に判断を仰ぐことが良いのである。それが平和憲法の国日本の姿勢である。客観判断をして、結論を出して貰うことが一番なのだ。それをしない理由はどこにもない。ところが政府は全くそういう努力をしない。国際紛争を平和的に解決するという憲法の指示を無視している。
そこにあるのは敵を作り、自己正当化をしたいからだけだ。石垣島にミサイル基地を作るのは、中国という敵を明確にしたいからなのだ。国民の意識に強く、中国という敵国を印象づけたい。そのためにわざわざ石垣島で一番大事な場所に自衛隊基地を作っている。
ただ軍事的な意味で基地を作るのであれば、無人島でいい。その方が住民に迷惑を掛けない。周辺住民に不安を与えない。ところがアベ政権にしてみれば、それでは中国仮想敵国の脅威を国民に印象づけることが減少してしまう。
国防はすでに、大きく変貌している。正面的軍事力では手に負えない状況なのだ。特に原爆を持たない国は北朝鮮にも脅される立場だ。北朝鮮は韓国との交流施設の爆破をした。理由は自分たちの狂気を示しているのだ。私たちはまともではないから、平気で原爆をアメリカにも打ち込みますよといいたのだ。
日本は専守防衛を徹底して研究しなければならない。その意味で、イージスアショアーもティルトローター機オスプレーも研究対象である。サイバー攻撃や、細菌兵器も充分研究する必要がある。日本の安全保障は正面的武力から、大きく変わらなければならない時代に入っている。