第8回 水彩画 日曜展示

   






22,「トウマタダーに水が入る。」①
P12号 クラシコ・ファブリアーノ
2020.1月から6月まで







23,「トウマタダー・水が入る。」②
中判全紙 クラシコファブリアーノ
2020,1月から6月



 

 


 24,「トウマタダー・水が入る」③
 中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
 2020,2月から6月








 25,「トウマタダー・水が入る」④
 中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
 2020,2月から6月






 26,「トウマタダー・水が入る」⑤
 中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
 2020,2月から6月






 


 27,「トウマタダー・水が入る」⑥
 中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
 2020,2月から6月


 トウマタダーとは崎枝の入口にある田んぼである。本当のところはこの田んぼが「トウマタダー」と呼ばれるたんぼなのかどうかはわからない。聞いたのだが今の所どなたからも正解が聞けていない。間違っているのかもしれない。石垣市の市史に崎枝に松の木がある田んぼがあり、トウマタダーと言われたところがあったと記載されていた。それでここの田んぼのことではないかと、勝手に決めたのだ。

   ところが、その後そのことを調べてみたのだが、石垣市のホームページからその記載が消えてしまった。今ではそんな記載があったのかどうか、トウマタダーの記載が正確かどうかも不安になってしまった。何故かそのことを読んだはずの、石垣の各集落の地図や歴史の記載自体が無くなっている。

 何かあの時見たのは幻覚だったような気にもなっているのだが、それを調べた時にブログに書いた記憶があり、調べてみたら記載はあった。どうも、見たことは見たらしい。何故その表示が消されてしまったのか。何か間違えでもあったのか。まあ仕方がない。

 それでも崎枝ではこの田んぼは松に覆われていて、一番その名前が相応しいので、そういうことにさせて貰った。残念なことに今年はこの田んぼは、ヒエが随分と生えてしまい、刈り取りもしなかった場所もある。体調が悪かったのだろうか。

 この松林が何といっても魅力的だ。松林の中にへごの大木があり、南国の様子だ。この松の森の当たりから水が湧き出ていて、この5反ほどの田んぼを潤している。それほど奥のある山ではないのに、田んぼが出来るほどの水が湧いている。それだけでもこの松林がすごいものに見えてくる。

 この田んぼはやらブ半島の先に行く道路沿いだ。道と防風林の向こう側は名蔵湾である。海際にある田んぼだから、土には貝殻や珊瑚が沢山混じっている。それでいてかなり土は古くからの田んぼである。長く耕作されていたとしか思えない。

 この田んぼに水が入る前から描き始めて、田植えが終わるまでを描いてみた。6枚の絵だ。絵を描くと言うより、自分の目が田んぼをどう見ているのかを確認しているようなことだ。自分の目が見ている感触を、筆触を中心に置き換えている。

 できる限り自分の肌感覚の様な筆触に反映するようにした。当然色は筆触に引きづられているかもしれない。画面の構成のようなものは何も考えてはいない。田んぼが入ればいいと考えるだけだ。6枚描いて何かつかめたという事でもないが、改めて絵を見ると、自分が確かに田んぼを見ていたという感触がよみがえる。

 来年も水が入る1月ごろには描き始めてみたい。

 田んぼの地表に水が入ると、突然空が田んぼの中に出来てくる。その空の間に、濡れて潤った地面が光って見えている。当然水があるわけだが、水中の草やら地面やらが、複雑な層をなしている。この状態を自分の目がどう見ているかである。

 田んぼには水が来て、賑わい、喜びに溢れている。そうした思いも見えてくる。そして田んぼにはイネが植えられる。イネが整然と並ぶのだが、ますます田んぼは複層化して、どこを見れば良いのか分からない状態になる。

 水面の輝きを見たり、そこに映り込む末の影が見る。その脇にはイネの水中の姿があり、去年の切り株が見えていたりする。そして田んぼの土のヌメタ感触も感じる。そのすべてを描き尽くしたいと思う。
 トウマタダーについてもう一度今回調べてみたら、とぅまた松節という民謡のことが出ていた。とぅまたとは手のように十の又のある地形という事とある。十又田と呼ばれる田んぼがあったと、文章が以前と違っているようだ。いずれ、私が絵を描いた田んぼがトウマタダーであることは間違いがないようだ。

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