石垣島における住民のアイデンティティー
一生肩書というほどのものはなく生きてきた。恥ずかしいという事もない。肩書きなど無い生き方で大丈夫なようだ。肩書きがないと何かと不便である。聞かれたときにおずおずと口ごもるので、なんとなく怪しげな存在になる。それなら、「画家です。」とか「僧侶です。」というのもなんだかすっきりしない。
「あなたは誰ですか。」こういう質問をし続けるドキュメントを見たことがある。5年三組笹村出です。はっきりと答えられるのは小学生ぐらいだった。自分は誰かという疑問は、自分は何者かという事に繋がっていて、本田自動車のセールスマンです。というような答えは、職業を答えただけなのかもしれないと、思い直す人が多かった。
「石垣島になんできたのですか。」こう聞かれる。石垣島がきれいだからです。こう答えて嘘はないのだけれど。そのことではなく、もう一つ奥にある、あなたの生き方として、年を取り知らない島に引っ越すような選択を何故したのですか、と聞かれているような気がする。
そうなると、実は応えようとすると、30分ぐらいはかかるのではないか。いや、1時間ぐらいはかかる。そんなことを聞いているんじゃないという事だろう。分かりやすく、旅行できて気に入ったのでとか、旅番組で素晴らしかったのでというような答えが、受け入れやすいような気がする。
沖縄では、「沖縄アイデンティティー」というような難しいことが、2014年の県知事選で翁長雄志(おなが・たけし)氏が、「イデオロギーよりもアイデンティティー」と訴えたこと以来、良く論議されてきた。それが沖縄独立論にも繋がっている。
沖縄アイデンティティーとは、沖縄の土地、海、資源に関して、沖縄の人々「ウチナーンチュ」が決定できる「自己決定権」を持っている。だから、沖縄にある米軍基地の是非は沖縄自身が決めるという考え方なのだ。
1879年の「琉球併合」の前には、琉球は独立した王国として中国に冊封(さくほう)していた。中国の内藩ではなく独立した外国の関係であり、中国は沖縄の政治的な独立性を完全に認めた上で、形式として臣下のかたちを取るというのが冊封体制の原型だ。
沖縄歴史学の伊波普猷氏は、沖縄の住民、文化は日本民族、日本文化と同根である主張した。柳田民俗学で主張された考え方と同じである。沖縄に奈良時代あるいはそれ以前の古い言葉、慣習、風習が残っているという見方に基づいている。日本の枠の中で沖縄の固有性や独自性を認識した。
1945年、本土防衛の捨て石とされた沖縄戦以降、その後も日本はいろいろな局面で沖縄を「切り捨て」ててきた。現在の、自己決定権を持つウチナーンチュであるというアイデンティティーは、この切り捨てによって失われた人権と自治権の回復と闘争なのだ。この感覚はウチナンチュウ以外には感覚としては無理ではないか。先島の人たちも、どうも本当の人とはこの感覚では違う。やはり、米軍基地がある島とない島では意識が異なる。
秋田県、山口県ではイージスアショアーが撤回されたが、石垣島のミサイル基地は3分の1の住民の要求に基づく住民投票さえ許されてない。自分の意志の表現さえ、アベ政権の指示で抑えられている。自己決定権が差別的に沖縄では軽視されている現実がある。
その沖縄に歳をとりきた。老後を石垣島で暮らしたいのです。これではなかなかそうですかと受け入れてくれない。すぐ、今まで何をしてきたのですか。こう聞かれる。つまり、そういう材料によって、これからの付き合い方を決めようと言うことなのだろう。アイデンティティーというような言葉の奥にあるものだ。自衛隊基地反対の為に、石垣に来たのかと思う人もいるかもしれない。
ただ外部から来たものに対する態度は小田原などと全く違う点がある。石垣の半分以上の人はそもそも石垣島にやって来た人なのだ。琉球王朝時代から、石垣島にご先祖が暮らしてきたというような人は、極めて少数派なのだ。例えば、お隣の玉那覇さんは石垣の最古の泡盛製造所なのだが、本島から来たと社史にある。
できる限り正確に答えるようにしているのだが、間違いなく答えようとすると話が長くなるので、石垣島の絵が描きたくて来ました。こう言う他ない。それなら今ここで描いてみろと言われたことがある。別荘地の獅子の森の住人に言われた。これがそうですと絵を見せているのに、どうも何を描いているのか分からなかったようなのだ。それで絵はがきセットを名刺として渡すことにしている。絵はがきがわたしというものの説明なのかもしれない。絵葉書がアイデンティティーということか。
石垣島で日々絵を描こうと考えています。死ぬまで石垣島の絵を描きたいと考えて、引っ越してきました。こう言うとそれは良い趣味ですね。こう理解してくれる。大抵いよいよそれ以上の説明は面倒なので、ハイそうですと答える。
絵を描く生き方です。本当はこう答えたいのだが、聞いた方としてはさらに意味不明になるだろう。だから、つい面倒で趣味です。と答えて少し誤解を与えることになる。洋ラン栽培が趣味です。これは文字道理で分かりやすいが、絵を描くというのは良いご趣味という訳にはやはり行かないだろう。数学の研究をしております。確かにこれも良いご趣味かもしれないのだが。
それでも、肩書きに画家とか名乗るほど悪趣味ではない。最近はそういうひとは少なくなったけれど、70年代にはそういうひとが居たものだ。これはさらに印象が悪く見えた。画家は定義があるわけではないから、画家と誰でも言っていいのだが、自分を画家だと思ったことはない。
「哲学者・思想家・宗教家・詩人・芸術家・教育者」これらはみな避けた方がいいと思える肩書きである。こうしたものを名乗る人がいたら大体は疑ってかまわないと思う。こういう妙な肩書を普及したのは、マスコミである。こうした肩書きの人に何人かお会いしたことがあるが、やはり怪しい人であった。
何故怪しげになるかと言えば、自ら肩書きとして思想家であるとか、芸術家であるとか、名乗れる恥気のなさがにじみ出ているからだ。つまり、肩書がアイデンティティーを示していないのだ。じゃあ―職業なのかと言えば、思想家というような職業はないだろう。
こうした肩書きは他人があえて説明に使うときでも控えたいようなものだ。馬鹿にしたようでご本人に申し訳ないからだ。誰かが私を芸術家の方です。こういわれたとしたら、何とも居心地が悪い。もちろんこう言う肩書きで喜ぶ人はいる。だから、平気で自ら名乗る人もいないわけではない。が聞かされただけでも恥ずかしくなる。
でも、思想家等と自称する人の思想はいかばかりの思想か。聞きたくもない思想に違いない。大体こう言う基準のない肩書きの場合、著作の数を上げることになる。これだけの本を書いているから、思想家であると自称してもいいということなのだろうか。その意味で私にとっての思想家と呼べる人は私が知る限り、花田清輝と林達夫と丸山真男と柳田国男の4人ぐらいだ。
そうは言っても大して本を読んでいるわけではないので、一般論までは分からない。石垣島のアイデンティティーはあるのかないのかはわからないが、他所から来たものにはとても暮らしやすい場所だという事だけは分かった。これはずいぶんとあちこちで暮らしの結論なので、間違っていないと思う。