第1回 水彩画 日曜展示

   

 水彩画を日曜日にこのブログで、公開して行くことにした。描いた水彩画を週一回公開して行く。コロナウイルスが流行し始めてから、意識して水彩画を公開してきた。絵を見ていただいていくらかのものになればと言う気持ちもあった。もちろんそう有りたいとは思うが、今のところそれほどの絵ではないという自覚がある。私自身が頑張るための公開でもある。

 水彩画を公開する機会が減って行くと言うことがある。ひとつには美術館も画廊も閉廊が続いている。絵を描くものにとって、見てもらえなくなってきてる。これは絵画文化の危機である。コロナが終わる頃には画廊も減っているかもしれない。見てもらえないと、絵はおかしな方向に進むものだと思っている。

 絵を見てもらい、出来れば率直な意見を貰うとこが絵を描いて行く上でとても大切なことになる。そうした場をブログに作れないか、試みることにした。他に絵を描く人も知らない石垣島で暮らしている。批評をいただけるとしたら、ありがたいことだ。絵の批評はいただいても基本的に公開しない。

 何故かというと、私の政治的な発言が気に入らないから、絵をめちゃくちゃ言う人が過去にたくさんいて、どうにも収まらなくなったのだ。そうした方向違いの批評はくだらなすぎるので、絵に関しの批評は公開をしないことにしてきた。公開して欲しい方はその旨書いてくだされば公開させて貰います。批評に関して私の意見が欲しいという方が居れば、書いて貰えば、必ず私なりの考えを返信させていただきます。

 曜日を週一回の日曜日と決めて、その週に描いた絵があれば、それを公開する。その週に描いた絵がない場合は以前描いた絵の中から選んで公開してゆく。やる以上死ぬまでやりたいと思う。10年やれれば、その頃にはましな絵になっているかもしれない。興味のある方は、ダメとか、まあまあ、とだけでもいいので、コメントで付き合ってもらえれば、継続する励みになるのでよろしくお願いします。

 公表する絵には題名・制作年月・サイズ・写生場所・紙の種類。など覚えている範囲で記録しておく。公開する枚数は一回に二,三枚にしておく。絵を語ることは、自分にとって大切だと思うので、何らかの思いを書き加えたい。あとはやりながらよりよい方法を考えてみることにするので、この点でもご意見いただければありがたい。

 掲載した絵については何か使えることがあれば、自由に使っていただいてかまいません。こんなことに使いましたくらいコメント欄で教えてくれればいいです。
第1回 水彩画 日曜展示

 
 

 1、「ウリズンの田んぼ」
 2020.5.14
 中判全紙 クラシコファブリアーノ
 写生地 石垣島崎枝




 2、「崎枝南斜面」
 2020.5.14
 中判全紙 クラシコファブリアーノ
 写生地・石垣島崎枝





 3、「崎枝の牧草地」
 2020.5.13
 中判全紙 クラシコファブリアーノ
 写生地 石垣島崎枝


 いちいち絵の間に文章があると見にくくなりそうなので、文章はまとめて後で書くことにする。

 10日間ぐらいの間に描いた最近描いた三枚の絵である。行きつ戻りつしながら、三枚を進めた。不思議なのは何故か三枚が違う絵になると言うことだ。具体的な一番の違いは空である。数えると少なくとも50枚の絵を今年に入り描いている。

 その50の空が、すべて違うのである。空だけでない、海も一枚一枚違う。別段意識して変えているわけではない。そのときこうだと描いたらこんな結果的になっている。見てその通りに描いているだけなのだが、その都度違うことになる。理由はまだはっきりしない。ゆれているのだろう。

 この三枚で少し意識して描いたことがあるとすれば、石垣島の緑である。強い緑である。この強い緑を何とか捉えたいとは考えては居る。1年の間にわずか前進できた意識はある。これは嬉しいことだ。一枚目の「ウリズンの田んぼ」はそういう気持ちの強い絵だ。

 絵として良いかは別にして、田んぼの勢いというか、もう穂が出るぞという沸き立つような命の強さが見える。そうなると少ししつこいことになる。それは絵として問題部分にもなるが、問題を避けるよりは通り抜けたいと思ってやった。

 この場所を見通せるように覆っていた、樹木を順番に伐採した。伐採したら、すばらしい景色が見えるようになった。その感動で描いた三枚の絵だ。これからもこの場所を描いてみたい。同じ場所を何枚でも描きたくなる。描くたびに新しいページが開けるような気持ちになる。

 小田原に居た頃も10年間同じ畑を描いて、飽きることは少しも無かった。出来上がる絵と言うより、描く喜びが大きい。絵を描くと言うことは奥の深い喜びがある。これが生きる喜びというものなのだと思う。



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