地方への移住が始まるかもしれない。

   

 政府は、1月30日~2月3日、東京圏に住む20~50代を対象にアンケートした。東京圏1万人を対象にしたインターネット調査の結果をまとめた。東京圏以外の地方で暮らすことに関心を持っているとの回答が全体の49・8%を占めたほか、若い層ほど関心が高い傾向も浮かんだ。地方暮らしに「関心がある」と答えたのは15.6%で、「やや関心がある」が15.5%、「気にはなっている」18.7%だった。「関心がない」「あまり関心がない」は計47.0%。---共同通信

 ちょっと驚きの期待できるニュースだ。嬉しくてまだ信じられないほどのことだ。これが本当のことなら、未来は充分に明るいと思われる。アーサーミラーのチェリーブロッサムだ。すべては思いから始まる。10人に一人が行動を起こすとすれば、世界は変わる。

 いよいよ新しい時代が近づいているのかもしれない。時代は変わるときは一気に変わるというから、次に時代は案外にもうそこまで来ているのかもしれない。このデーターはすごいことだ。都市消滅の時代が始めて感じられる。新しい生活への願いもって、30年生きてきた。自分が生きている間に地方で暮らす時代が来るのかもしれないのだ。

 このアンケートは政府が行ったものと言うことだが、まさか何か意図があって偏向を加えていると言うようなことはないのだろうか。余りに嬉しくてそんなことまで考えてしまった。1月末と言えば、コロナ不安が蔓延する前の話だ。コロナ感染が影響していると言うことはないだろう。

 コロナ後の時代ははっきりと都会を離れる人が増加する可能性が出てきた。資本主義の限界なのだと思う。中国とアメリカの経済戦争に巻き込まれてさまよう日本を見ていると、日本にはそういう自覚さえ持てないのだと思える。たださまようだけでどこに向かうかが見えないで居るのだ。

 そこで暮らしている日本人がこのままではないはずだと。日本人は良くコロナに対応したと思う。まだ日本人の生活力があると言うことだ。アメリカやヨーロッパでの死者数を見ると、すでに生活能力が空洞化しているのだと思う。

 コロナウイルスには様々なデマのようなものが飛び交い、政府もテレビ報道も科学性というものを失うことがよく分かった。インフルエンザより軽い病気だと今でも主張する人が居る。正しく恐れない人は正しい判断を失う。それは原発の時と同じである。調査報道を行うだけの力を日ごろから、養っていないときちっとした報道は行えないと言うことである。

 日本人が地方に分散して暮らすようになれば、日本は新しい時代を作ることが出来るだろう。日本列島の豊かな環境はまたとない素晴らしいものである。可能性に満ちているのだ。今放棄が続いている土地に戻り、人間らしく生きることだ。それは誰にでも出来ることだ。

 私は30年自分で試してみた。100坪の土地で、一日1時間の労働をすれば、食糧の自給とは可能だということを、信じて貰いたい。ただし、これは協働すればと言うことで、一人でやるとすれば、2時間働く必要があった。協働することが出来れば、誰にでも加わることが出来る。

 あしがら農の会は今もそれを模索している。この実践は必ず次の時代を切り開く、参考になるはずだ。地方生活の一番の困難は技術である。生活技術というものが失われている。日本は江戸時代循環型の暮らしを完成させた国なのだ。

 それはシャベル1本の自給だ。化石燃料など一切使わない自給である。江戸時代の人が普通にやっていた暮らしである。もちろん江戸時代の人には出来なかった、様々な文明の利器がある。例えばイネの品種改良は当時のものより20%増収できる。

 江戸時代はどれほど頑張っても8俵と言われていた。それが今の時代10俵とれるのだ。化学肥料も、農薬も不要だ。機械は籾すり精米機があれば、なんとかなる。細かなことはこのブログにもいろいろ書いてきた。また、お米と鶏は必携である。このことは農文協で本にして貰った。

 そのほか分からないことがあれば、私が生きている限り疑問には答えたいと思う。何とか、自給的に暮らす方法を生きている間に伝えたいと思う。もしそういう時代の転換が出来るなら、コロナによって、次の時代の扉が開くと言うことになるかもしれない。

 もちろん簡単なことではない。たぶんこのブログにも何度書いているかと思うが、北斜面の杉林を開墾して畑を作り、田んぼを作り、食の自給を5年間で達成した。難しかったのは例えば杉の抜根はどうすればいいかというような、生活の工夫力である。

 田んぼをどうすれば出来るのかなどいろいろ調べたが分からない。しかしやってみたら何のことはなく出来た。江戸時代には普通にあった大切な技術が忘れ去られている。私にも出来たことだ。必ず可能である。

 私は東京まで通勤できる場所で、開墾生活が出来る場所を探した。それが山北町の高松山中腹であった。東名高速バスで世田谷区にある世田谷学園に通勤していた。三日間連続で授業をさせて貰い。その間の2泊は東京に泊まった。四日間は山北で開墾生活である。夢のようなすばらしい暮らしであった。今戻れるとすればあの頃が一番いい。

 テレワークがどこまで進むかがひとつの鍵であろう。週に1,2回会社に行けば仕事が可能であれば、都会の会社でも大丈夫だろう。もう一つは企業自体が安全保障で部門によっては地方に分散する可能性もある。政治がまともであれば、そういう推進も行われるところだろうが、ほとんど政治には期待できない。

 企業自体に次の時代を見据える能力があれば、それぞれが動き出すはずだ。人口減少の中で、日本の企業が能力を発揮するためには個々人の人間力の向上以外にない。そのためには人間が人間らしい暮らしを持つと言うことしかないと思っている。


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