再生エネルギーと平和国家

   



 自給こそ平和国家の根幹である。それは食料もエネルギーもできる限り自給すると言うことだろう。中東に自衛隊を派遣するのは石油の輸入ルート確保のためという。石油は日本の生命線と言われてきた。80年も前の第2次世界大戦の時もそういうことが言われた。

 2020年の今になっても同じ事が言われている。日本という国の無為無策と言うことである。この80年間何の手立ても打たれていない。原発は脱石油ではあるが、やはり輸入原料である上に、戦争になれば原子炉自体が攻撃目標になりかねない。しかも原爆の材料を造り出すものでもあり、到底平和的エネルギーとは言えない。

 循環型エネルギーの開発こそ日本が平和な国として歩む道である。ところが現実にはエネルギー自給は一向に進まない。コストの問題もないとは言えないが、それ以上に既得権益に縛られている事が主たる原因と考えられる。原発にしがみつくよりも,自然エネルギーの開発こそ日本の安全保障の方角に違いない。

 様々な循環型エネルギーを日本は主産業として取り組むべきである。そういう企業の登場こそ、日本を平和国家として成立させることになる。ところがこの点では残念なことに世界の趨勢から後れをとっている。

 日本のこの姿を信じられない思いで眺めている。まさかこれほど日本人の意欲と能力が衰退してしまうとは、考えていなかった。列強のアジア進出。日本の敗戦。何とか厳しい歴史をしのいで再生してきた日本が今回はずるずると後退している。

 同じスタートラインから、循環エネルギーの技術革新に世界は挑んだ。それなら原発事故を経験した日本は,必死に集中するだろう。日本が世界をリードするのではないかと、期待をした。ところが残念ながらダメだった。

 福島原発事故が大きな転換期であった。不幸な事故ではあるが、次の時代への転換点になる可能性はあった。日本は生かすことが出来なかった。相変わらず、原発村がのさばっている。原発の安全云々以前に、循環型エネルギーの開発能力が日本には失われている。

 アベ政権が長く居座って、アベノミクスは成功だ等と叫んでいる馬鹿馬鹿しさ以上に情けなくなる。新産業の創出がせいぜいアメリカのカジノ誘致である。これでは循環エネルギー所ではない。原発村の怨念なのか。

 日本のようなエネルギー輸入国が、エネルギー輸出国に変わる大きな機会であった。今からでも遅くない。官民挙げて日本の方角に次世代のエネルギー開発を目指さなければならない。
 
 ALCA科学技術振興機構と言うところがある。戦略的創造先端事業というもので、次世代蓄電池の基礎的な研究をしている集まりらしい。多くの大学の研究チームが共同して研究をする場所。

 太陽光発電の問題点は夜間電力である。蓄電池の開発である。より効率の良い蓄電池を作り出せないかが課題だ。次世代蓄電池の開発に全力を挙げるべきだ。

 以下はALCAのホームページに書かれているものである。

次世代蓄電池の候補となる「全固体電池」、「正極不溶型リチウム-硫黄電池」、多価イオン電池等の「次々世代電池」といった新しい蓄電池の研究開発に加え、共通課題として「Li金属負極特別研究ユニット」と「評価・解析&共通材料技術」よりなる実用化加速推進チームを新設し、4チーム体制で推進します。各々の電池系について、活物質・電解質・セパレータなどの個別材料研究やメカニズムの解明、あるいは要素技術開発にとどまらず、蓄電池として最大のパフォーマンスが発揮できるよう、各チームの電池総合システム最適化グループを中心に、チームが一体となって研究を推進します。 

 基礎研究を推進する組織らしいが、具体的な役立つ成果があったのかは知識がないのでよく分からない。成果という項目があるが、もう一つ具体的な成果となると分からない。

 大学では一生懸命研究はしているのは確かなようだ。その速度が世界の進歩の速度に遅れてきていると言うことなのだろうか。産業界はどうかと言えば、本気で取り組もうとしているような大企業が見えない。どうしたことなのだろうか。

 日本の既存企業は新しいことに挑む精神を失ったのではないだろうか。現状の維持に精一杯になっていて、新産業への転換というような冒険に乗り出せないのだろうか。

 国の方針が原発依存であると言うことが、循環型エネルギーへの転換が出来ない第一原因であろう。アベ政権には平和国家などどうでもいいことなのだろう。むしろ軍事力強化したいがために、中東の石油依存をしているのかもしれない。

 

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