小田原で年間100頭のイノシシと鹿を仕留める人がいる。

   



 小田原に戻り、穂田さんという荻窪の方に家の工事をお願いした。穂田さんはあしがら農の会の顧問の方で、農の会にとっては恩人である。全国どこの地域でも地元の方で、私たちの様なよそから来た人間を受け入れ、助けてくれる方がいるのだと思う。

 工事の打ち合わせで話していたら、この一年間で100頭の鹿とイノシシを捕まえて処理したというのだ。あしがら農の会のもう一人の恩人であり、顧問である石綿さんもイノシシ猟ではだいぶ前から活動されていた。

 お二人がいなければ今の農の会はない。あしがら農の会に集まる、新規就農者を助けてくれたと、あらためて感謝の気持ちである。害獣駆除をして、農業を守りたいという思いと、他所から来た新規就農者を支援する気持ちは、地域を守る気持ちで繋がっている。

 地域にははっきりと新規就農者を毛嫌いし、排斥する人がいる。舟原で暮らして15年自治会長までさせてもらっても、はっきりと別扱いをする人がいる。もしお二人のような地域の方で、応援してくれる人がいなければ、農の会は成長できなかったと思う。これは小田原の特殊かもしれないが、他のことは正直分からない。

 危機は迫っている。30年前に山北に入植したときに考えた通りに農業者の置かれた状況は進んでいる。平均年齢が、私の年と同じにずーと移行しているのだ。私が60の時は農業者の平均年齢が60歳。70になれば70歳である。こんな産業が継続できるわけがない。

 一次産業の衰退した国は、そこで終わりである。日本の社会は余裕のない社会だから、明日の暮らしに追われて、100年先を見れなくなっている。一次産業の失われた、その後にある国は日本ではない。日本は瑞穂の国なのだ。その点では安倍氏と同じ考えである。

 穂田さんはおだわらイノシカネットの代表である。仕事をしていても罠にかかったイノシシがいれば、電話を受けて飛んでゆく。全くのボランティアであるが、仕事のつもりでやられている。もちろん穂田さん一人でやっているわけではないが、かなりの部分は穂田さんが支えている。

 1頭のイノシシが罠にかかれば、一日その処理にかかる。もし肉にできる状況がなければ、埋めなければならない。埋める場所も必要である。運ぶこともしなければならない。運んで焼却出来るわけでもないらしい。

 もし穂田さんが100頭のイノ鹿を捕まえなければ、間違いなく数倍に増えているだろう。100頭捕まえてくれているが、それでも私の家周辺の出没の状況は以前よりもひどい事になっている。田んぼにも畑にも出没している。

 罠免許を取り、協力したいと思い活動したことはあった。しかし、私が仕掛けた罠のことで、警察が私の家に来た。地域の人が警察に電話をしたのだ。それ以来もうわなを仕掛けるのはこりごりでやめた。地域の為と思い努力しても、よそ者がよけいなことをしてと、腹を立てる人がいたのだ。

 穂田さんも、石綿さんも何百年も小田原に暮らしてきた方である。それもあってイノ鹿猟をしてもトラブルにならないのだと思う。猟友会との関係というものがあるらしい。猟友会は銃を使いイノ鹿猟を趣味としている方々の集まりである。

 もちろん猟友会は害獣駆除の協力もしてくれている。とくに、罠にかかったイノシシを仕留めるのは猟友会の方だ。例えばくくり罠があると放した犬が罠にかかることがあるので困るという。その実態は分からないが、くくり罠禁止という地域がある。小田原も以前はそうだった。

 小田原の猟友会も老齢化していると言われている。なかなか害獣駆除が徹底的に出来るほど活動は盛んではないのだろう。イノシシ算や、しか算で増えている。穂田さんや石綿さんの頑張りでもイノシシの増加に追いつかない。

 やはり、若い人が経済的に可能な形で、参加できる道が作られなければ、獣に人間が負けるという事になりかねない。方向はジビエ料理だろう。持って行けば、買い取ってくれるところを作る必要がある。

 先日の小田原農業まつりではイノシシソーセージが売られていた。農の会の一人が作ったものである。こういう事業が営業ペースで可能にならなければ、若い人が猟に取り組むことなど不可能である。どうすれば営業ペースにのるかは、行政も企業も考える必要があることではないだろうか。

 一つは解体施設の経営が可能になること。解体業が各地で営業できるようになれば、そこまで運べば買い取ってもらえるようになる。そうなれば、かなり楽になる。ここには企業や行政の協力が不可欠だろう。

 丹沢の寄(やどろぎ)にはそういう場所があるらしい。持って行くと肉をいくらか持ち帰れるらしい。今回のソーセージはそこで解体した肉だそうだ。しかし、その程度では到底猟を行う事が正業になるほどの経費は出ない。ソーセージも赤字に違いない。

 持って行けば、数万円で買い取ってもらえるという状態が出来なければ無理だろう。その為には販売ルートの確立である。大手の流通業者はここは協力をしてもいいのではないだろうか。かならず、新規商品に繋がるはずだ。

 穂田さんや石綿さんのような人が、頑張ってくれている間に何とか若い猟師が生活できる基盤を作り出してもらいたいものだ。そうしなければ、小田原の農業は終わりになる。もうギリギリの所だ。
 

 

 - 地域