福井 豚コレラ、全国4県目

   

 福井県で豚コレラが発症した。この問題を書くのは3回目になると思うが、予測したとおりの展開になっている。イノシシに感染が確認された以上、全国に蔓延するのは当然のことだったのだ。
 政府はなんと野生のイノシシにワクチンを接種するから、感染は防げると馬鹿げた手段に出たのだ。イノシシは移動しない動物だとそのときには分析していた。それほどイノシシの習性に無知では、対応などできるわけがない。
 国の家畜感染症対策は、病気が出たならば薬で対応すれば、何でも解決できるという科学性のない考え方だ。日本の獣医学の知見のなさを、今回の事件で見ておく必要がある。豚コレラより怖い病気が次には発症するはずだ。
 四国に獣医大学もいいが、近畿大学の農学部は家畜感染症の研究に取り組んでいた。こちらは門前払いしておいて、アベさんの盟友に許可を下ろした。こういう姿勢が感染症研究を後退させている。
 鳥インフルエンザの発生の時、何度も書いた結論を繰り返せば、大規模畜産を見直す以外に解決はない。そして、病気を受け入れて、対応することだ。現在行っている、全頭淘汰の考えは捨てなければならない。全島淘汰したところで、野生の鳥やイノシシには何の関係もない。
 問題の根源に目を向けないで、何故か末端の業者にだけ目を向けている。国民向けの演技と言うことなのだろう。本当に抑えるなら、イノシシにワクチンなど考えるわけもない。つまり、抑える方法がないのだ。
 できるというなら感染したのだから野生のイノシシを全頭淘汰しろと言いたい。鳥インフルエンザの時にも、淘汰だけで対応した。しかし、感染した野鳥は淘汰されたわけではない。渡り鳥が居るから、常に感染原因は自然界に新たに登場する。
 養鶏場や養豚場を完全に自然界から遮断するというのが、政府の希望である。しかし、そんな窓もないような環境で飼育されたものしか、食べられない社会がまともなはずがない。その結果政府の好きな大企業畜産だけが生き残ることになる。
 人間の暮らし方が間違っている。間違いで起こる病気を薬で対応できると考えるのは、人間のおごりだ。恐竜だって病気はしただろう。薬などない。絶滅するのは隕石衝突であり、病気ではない。
 暮らし方を変える以外に病気を和らげる方法ない。あくまで手当である。薬は使うべきだ。しかし、病気の原因が大規模畜産にあると言うことは忘れてはならない。
 自然界に存在する病原菌をすべてなくすことはできない。当たり前のことだ。野鳥にもイノシシにも家畜に伝染する感染症ウイルスが存在する。これを完全に遮断しようとすれば、当然限度を超えたような消毒が行われる。
 そういう自然界にないような食べ物が人間の体をむしばまないだろうか。清浄というような考え方は危ういだろう。人間の体の中には細胞以上の微生物が存在するそうだ。
 そうした微生物と共生しているのが人間である。体内の微生物には良いものも、悪いものも、関係のないものも居るはずである。そうした総合によって人間は生かされている。病原菌との関係はむやみに排除するのではなく、上手く付き合うことが必要だ。
 イノシシにワクチン接種ができると考えた人は誰なのだろう。こんなできもしない発想をして、無駄な作業を繰り返している間に感染が広がる。
 
 このワクチンは大丈夫なのか。野生動物が餌から、ワクチンを接種され、野生のイノシシすべてに、免疫ができたというような事例はない。
 こうした手段がとられた原因は、大規模畜産を守る方法が他にないからである。鳥インフルエンザの時に私の養鶏場が要求されたことは、自然界からの遮断だ。放し飼いを禁止された。禁止するなら、野鳥が自然界に居ることを禁止しろと主張した。
 結局の所自然養鶏を行うものを全拒否した。こういう政府の無知蒙昧を憎む。理想の養鶏を行おうとの研究が否定された。こんな愚かな政府は日本だけである。
 そして、江戸時代に作り上げられた、鶏文化を消滅させた。その原因が政府の無知というのだから、情けない限りだ。そして次には、瑞穂の国の伝統稲作文化を、途絶えさせようとしている。
 自然界から遮断などしないで済むように野生の鳥にワクチン接種をしたらいいと主張した。できないことである。放し飼いを禁止すると言うこと。政府が考える衛生管理が不十分だと考える小さな養鶏場は止めろと言うことである。
 一体JAS有機認証の養鶏場というものはどうなるのか。放し飼いができないのでは成立しない。私がやっていた養鶏は日本で唯一の有機養鶏であったと自負している。
 素晴らしいはずの有機養鶏が実は禁止されるというのが日本の畜産の実態なのだ。その要因は大規模畜産を守るためである。

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