水彩人展、出品作3点中の2点
今のところ、東京都美術館である水彩人本展に出そうかと考えている絵3点のうちの一枚。宮良川上流を描いた絵。絵が明るい点で気に言っている。明るいと言うことは、余り手を入れない内に自分の絵になったと言うことになる。最近では珍しいことのような気がする。それでつい現場でサインまでしてしまった。初めてのことかもしれない。
この絵は午前中朝8時から12時までの四時間を3回重ねて描いた。家では描いていない。合計12時間も描く絵は珍しい事だったかもしれない。と言ってほとんど手が入っていないと言うことは、描いていると言っても、なにもしていない時間が多かったのだろう。
石垣島に来た最初の挨拶のような感じがする絵だ。やっと始まった気がしている。自分やっていた姑息とも言える絵作り知識を、捨てることに苦労した。自分の目だけに戻ることに、大分かかった。
頭では考えないで、目にしたがって描いて、自分にたどり着く。これが目標である。
宮良川の上流方向を見ている。この先に於茂登岳がある。於茂登岳の麓付近には素晴らしい田んぼが広がっている。このあたりを歩いていると、島に居るような気がしない。結構深い山の感じがある。すぐにも描きたいのだが、今水がなくて刈り取られたままになっている。
サイズは中盤全紙。紙は古いファブリアーノ手漉き紙。発色がさすがに良い。絵の具はニュートンとシュミンケ。シュミンケのカドレモンのような色が、緑を美しく発色させる。
緑の表現が少し分かってきた。何しろ石垣の景色は緑だけなのだから、緑を多様に使えないとどうにもならない。緑や黄色を薄く重ねて発色させる手間取るが良い色になる方法が少し分かってきた。
水彩画は極めて技術的なものだと改めて思う。自分の目が見ているものを手の方が自由になんとかしてくれないと描くことができない。この点では明らかに最近に分かってきたことが多くある。
それは石垣島の色彩や空気感、そして動き。こういうものにやっと反応できてきたと言うこともある。新しい場所を描くためには、新しい手が必要なのだろう。
これは名蔵アンパルである。出品するもう1枚の絵。名蔵の集落はこの絵の右側である。この絵を見て貰って、名蔵湾と言ってもそこに住まわれている人が違うと言うくらいだ。それでいいのだが。
いつも描くウラント農道の一番奥から描いた絵だ。今も又次の絵を描いている。まだまだ描きたい気持ちがつきない場所だ。一生描いていているような気がする。描き終わるようなことはないぐらい面白い。
30号の絵だ。違うサイズを描いた方がいいと言うことを水彩人の批評会で言われたのが、頭に残っていていつもよりは少し大きい絵を描いた。
大きい絵を描く必要は自分にない。しかし、サイズと表現というものは大切だと思う。私にとっての大画面は30号。小画面は名刺サイズ。
世間での大きな絵というのは、展覧会のための絵の場合がほとんどであろう。展覧会というものが社会に対する表現手段として機能していないのだから、大きな絵が無意味だと考えるようになった。
では何故水彩人をやっているのかと言えば、水彩人が研究会だからだ。水彩人は発表のためと言うより、自分たちの水彩画の研究のためにできた集まりだ。それは公募展になった今も変わらない。人に見て貰うと言うことも、研究発表のようなものだ。
実は2枚の30号の絵は額装してある。小田原でいつもお願いする、アートポエムさんに額装をして貰った。石垣で額装しようとはしたのだが、額装は簡単ではなさそうである。2枚は一応小田原に確保してある絵だ。すぐにでも出品できるようにしてある。
紙はファブリアーノのロール紙。のこぎりで半分に切り、石垣に送った。長いままだと、ユーパックでは送れないのだ。半分に切ればユーパックで2000円くらいで送ることができた。それを適当なサイズに切ったら、30号だった。
30号のこの絵ならば、車のなかで描くことができる。車の中でなければどうにもならないのだから、これ以上の大きさは無理だ。何しろいつ雨が降るか分からないのが石垣である。
絵を出品する状況が石垣と小田原とで不安定なので、今回早く準備を整えた。絵を展覧会に出す手順がまだ安定しない。額装して送ると言うことが、困難。
巻いた絵を送ることは簡単にできるから、送った絵を小田原で額装して出品するのが一番良いようだ。巻いたものならば、手に持って飛行機でゆくこともできる。
実際に出品すると言うこととは別に写真取りをしなくてはならない。絵はがきを作るので、早めに写真を撮らないとならない。どうなるか分からないので、額装したまま、写真取りをしておいた。
写真の期限は8月20日になる。北海道の金田さんが担当である。今のところ宮良川上流部の絵の写真を送るつもりだ。