石垣に帰るぞ。
小田原にひと月半ほどいた。今日石垣に帰る。小田原には仲間が沢山いるので、居心地は良い。説明なしに私が何ものであるかを理解してくれる人の中にいる安心。これが少し、絵を描くには甘くなるところでもある。雲水修行に出なければならない時はやって来る。いたるところ青山あり。野垂れ死にの場所に向って放浪に出発する。まあ、放浪と言っても石垣島にもどるのであるが。無意味に向って歩いてゆくという事である。小田原の暮らしは意味があり過ぎるのであろう。正義の御旗を立てた暮らしは絵を描くうえでは良くない。というようなところが、ひと月半の小田原生活の感想である。なんとなくやることがある。やることが正しいことだから、退屈をしないで埋まってゆく毎日。農作業というものはそういう健全なものだ。絵を描くというようなことは、どうしようもない暮らしだ。良い趣味ですねとせいぜい言われる、千日回峰行が絵を描くことだ。この穀潰しと思われている、千日回峰行が絵を描くことだ。それでいいのだ。ニャロメ!
次に小田原に来るのは4月末の田んぼの種まきである。今度の小田原は暖かくなっているだろう。一番寒い時期に小田原にいたというのは、間違いであった。温度差が20度もあるのでは、もう身体の方が対応できない。どこか身体が早く石垣に戻りたいときしんでいた。小田原で自分としてのやらないとならないと考えていたことは、これで一段落終わった。今までやってきたことの責任のようなものがあるとすれば、今回で終わった。これからは、協力して付いてゆく立場である。やれることはやるつもりであるが。口を出さないこと。もうたいした力にはなれないと思うと寂しいが。あれこれ、事務的な残務整理は大変だった。まだ気になることはないこともないが、生きて居れば何時も片付くという事はない。電気の名義変更は、東電が何度でも名前を間違えてしまう。東電は意味不明だ。現場から離れて、状況を理解しようとしないまま、受付業務だけ機械的に行う仕組みがおかしいのだろう。黒柳さんが処理してくれた。う・・ん・・・原発と同じか。
小田原ではタマネギと、小麦を作っている。みんなでやっているから、私の分もなんとなく進んでいる。タマネギは6月が収穫だから、小田原に来ているので大丈夫だ。諏訪の原圃場の玉ねぎの草取り、片づけは昨日終わらせた。4月の末に小田原に戻った時、草でおおわれていることだろう。それではタマネギは無理かな。もう野菜を作ることは無理なのだろうか。小麦も草取りと追肥はした。もう一度草取りは居るだろう。麦の収穫も6月になるが、6月田んぼの田植えが終わって、麦を収穫してから石垣に戻るという事になるのだろうか。麦刈りは出来ないか。小田原生活が1月半とまた長くなるが仕方がないか。麦の脱穀から精粉とみんなにやってもらうほかない。麦が終わるとすぐに大豆播種だが、大豆の畑の準備位は出来るかもしれない。4月小田原に戻るとすぐに絵を語る会を予定した。絵を語る会があるぞと思いながら、石垣で絵を描くのだろう。その後7月には水彩人の集まりがある。ここで今年2回目の絵を語る会を行いたいと考えている。そして本展で絵を語る会を行うと、今年は3回の開催になる。
さあ石垣に帰るぞ。力まなくてもいいのだが、つい嬉しくなって大声で書いてしまう。早く石垣で散歩をしたい。実は散歩用の靴を購入して石垣に送った。石垣ではいていた靴が、底がはがれてしまったのだ。毎日水溜まりの中歩いていると、こういう事もあるのかと少し石垣の湿った気候を感じた。今も石垣は雨続きという事のようだ。石垣で雨の絵が描きたい。雨で濡れた色を見ていると、描きたくなる。石垣が好きになった理由かもしれない。空は晴れ晴れと明るい、しかし広がる景色は濡れている。濡れている大地は豊潤に見える。豊かなみのりを感じさせてくれる。石垣はもう田植えが進んでいることだろう。水田のかがやきが早く見たい。今度こそいい絵を描くぞ。これがいけない。今度こそ自分の絵を描くぞ、だ。見えている、見ている自分を描く。成田を10時に出て、1時半には石垣である。