石垣の名刺を作る

   

 

 

 

名刺を作った。特に名刺が必要な状態ではないのだが、石垣島住所の名刺を作りたかったのだろう。以前、水彩人の事務所をしている時に、他の会の方、美術雑誌の方、画材会社の方、新聞社の方、お会いしたときなど、名刺が必要という事になる。そこで農の会の名刺の裏に「水彩人笹村出」と手描きしていた。この名刺は無料で作るというインターネットの会社で試しに作ったものだ。海外で作られ送られてきた。自分でデザインした完成原稿で作る。自分の持っている適当な写真を使う事が出来る。カラー印刷である。裏に顔写真も入れてみた。どの程度の印刷になるのか試してみた。何故無料なのかよく分からなかったが、ここで絵葉書の印刷なども格安でやっているので、これも試しにお願いしてみたが、これは使えなかった。前回は表は田んぼの写真のなかに白抜きでに住所は名前を載せてみた。おかしな名詞だが、これを200枚作ってもらった。もう何年も前のことだと思うが、いつの間にかこれも無くなったという事は、それなりに役に立ったという事なのだろう。水彩人の事務所2年間でも水彩人用の手書きのものを100枚くらいは使ったのだろうか。

以前久野の産廃処分場のことでお世話になった弁護士の梶山氏がくれた名刺は、古いカレンダーの裏にプリンターで住所と名前を入れたものだった。さすがに環境弁護士らしい名刺として記憶に残っている。真似をしてみたが、ちょっとそれポクて無理があったので使えなかった。東京にいた時代の名刺はプリントゴッコで刷ったものを使っていた。まだ、画廊とかかわりがあったころで、絵描きでやって行く用の絵のような名刺だった。絵描きにはなれなかったのだから、あまり役立たなかったともいえる。その次には養鶏用の名刺も作った。これには鶏の顔をスタンプにしてゴム印を使った名刺だ。何にでもこのゴム印を押していた。スタンプはゴム版を彫って作って、木切れに張り付けたものだった。日付も入れられるようにした。玄米卵の通信の下に押して、日付けも書き入れていた。卵に輪ゴムで止めていたこともある。説明書きは通信を兼ねていて、毎月書き換えていた。この一部を応用したゴム印名刺だ。このゴム印はまだ捨てないで残っていた。養鶏業らしいゴム印名刺で良かった。

今回の石垣名刺を作った。兄と東京であった時に、石垣に越したらしいが、住所はどこなのかと言われて驚いたからだ。年賀状で伝えたつもりでいた。兄弟がどこに住んでいるのかわからないというのでは、さすがに不都合である。案外年賀状の文章を見ていないものだ。年賀状に入れておけば、わかると思ったのだが、甘かった。石垣に住所が変わる時には名刺が要らない暮らしになる。と思っていたのだが。何故か、年賀状を送った人から、石垣に越したらしいがと住所や連絡先を聞かれることがほかでもあった。石垣の住所をお知らせするためには、やはり名刺がいる。そこで、ネットで安いところを探して作ることにした。

アドプリントというところが安かったのでここで初めて作ってみた。ところがうまく誘導されてしまい、何故かそう安くはなかった。200枚で送料を入れて、2000円くらいだった。広告では680円とあったはずなのだが、何やかや高くなった。最後に何故か特殊紙の方に導かれて、不思議な紙での印刷になった。石垣の名刺だから、石垣の名蔵湾を描いた絵を入れた。絵を入れて見たくて頼んだ。裏表カラーで作っても価格は同じとなると思ったのだが、そうでもないのかもしれない。私としては、白いままにしておくより、絵を入れたくなる。名刺など見た目がつまらないものだから、少しでも楽しいものにしたくなる。絵でも入れば、少しは良い。失敗といえば少しかっこが良すぎてしまった。黒地の金縁名刺に何故かしてしまった。この選択はさすがに良くなかった。作ってしまったので使うしかない。

 

 - 石垣島