先端研究の遅れ

   

正月の新聞ではIT技術の革新で暮らしが変わるという話が希望と不安ない交じりに描かれていた。そのほとんどが日本発ではなく、中国発になるとしなければならない。それくらい技術の革新に対する研究意欲に差が付き始めている。ITに関してはどこの国発であろうと、世界を変えてゆくものである。日本は原発事故を経験したにもかかわらず、原発にしがみついたままの国になった。これは新しいものへの転換の意欲の欠落である。目先の利得に目を奪われ、我慢して将来を見据えるという辛抱が国家としてできなくなっている。目先にとらわれてしまうのは、そうしないと自分の既得権を維持できないという姑息な焦りである。与党政治家たちの未来を語らない態度を見れば、それは明らかなことだ。どう今を維持するかにきゅうきゅうとしている。原発を捨てきれないような状態では新しい技術開発に後れを取るのは当然のことだろう。科学技術の恩恵は別段中国のものでもありがたいことではある。

先端技術の研究で世界をリードしているのは中国に変わり始めている。研究論文での注目度ではアメリカより上になっている。中国は実用的研究が中心ということらしいが、アメリカが中国を恐れているのは、この技術開発意欲なのだろう。アメリカのような一国主義は後れをとれば、どんどんおいてゆかれることになる。アメリカの追い抜かれる不安。日本の保守勢力は中国は今にも沈没するとばかり吠え続けていた。どういう先見の明のない連中なのだろうか。沈没願望が、実態を見ることを避けてしまう。中国が忽ちに日本を抜くであろうことは、25年前に中国へ行ってみてよく分かった。中国人は優秀だとつくづく実感した。どこに目を向けるかである。絵画交流ということで行ったのだが、中国の絵画はひどいものだった。絵画は実用性がないからだ。日本も遠からずそうなるであろうと思った。その予測に従う展開である。あの時は中国の絵はリアル絵画だけが評価されていた。文化が弱まるとそういう技術的なもの以外評価ができなくなる。

少数の中国人の中にある人間力というものに驚いた。すごい人たちだと思った。この人たちが自由に活動すれば、とてつもないことになると強く感じた。少数といっても日本人の10倍の人口だから、うまく組み合わされば大変貌する。中国は当時から国家資本主義である。一気に変わるだろうと予測された。予想通り旧変貌を遂げた。その15年後も中国には行ったのだが、大変貌していた。ますます中国を軽視している日本という国の保守層の衰えを感じた。中国がバブル崩壊で国ごとひっくり返るというような、保守層の展望にあきれるばかりであった。アメリカと中国の経済戦争を見て初めて、中国の力に気づいたのが、アベ政権ではないだろうか。急速に中国に近づこうとしているが、いかにも泥縄である。日本という国の方角をまず定めなければ、外交どころでないだろう。

まずは、仮想敵国中国をやめることだ。アメリカの同盟国であることもいつまで続くかわからない状況になっている。日本がぶら下がり続けようとしても、無い袖にはつかまれない。日本が独り立ちした時に中国に対して敵対を続けるのでは、それこそ危険である。平和国家日本として、中国に対する関係を模索すべきである。中国が日本に攻めてくるというようなことはあり得ない。まず、尖閣諸島を平和的に解決することだ。中国に所属するのか、日本に所属するのか、あるいは中間的な位置づけになるのか。どうなったところで結論が出た方が日本の為である。ところが、日本の為であるにもかかわらず、領土問題は政権の為にはならない。これは野党でも同じだ。国民が領土が減ることを嫌がるからだ。票が減ることを恐れて政治が曲がった方へ行く。尖閣諸島が中国になったからと言って、それが中国の覇権主義と切り離されるのであれば、よいことである。




調査対象とした最先端技術の論文総数は約1720万件で内訳は中国が約290万件、米国約390万件、日本約77万件だった。最も注目度が高いのは「ペロブスカイト」という次世代の太陽電池材料だ。現在主流の電池材料であるシリコン半導体に比べて、高効率で安価になる可能性があり世界中で研究開発が活発だ。次いで省電力で高速処理の半導体につながる「単原子層」、安価な電源と期待される「ナトリウムイオン電池」が続いた。10位までをみると電池関連が5テーマと最多で、携帯端末からEVまで幅広い産業に貢献する先端技術であることが背景にある。次いで多かったのは医療・バイオテクノロジーだ。遺伝子を自由に切り貼りして動植物の品種改良につながる「ゲノム編集」(7位)、ノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑京都大学特別教授が貢献した「免疫療法」(10位)など3テーマが入った。(引用文)

 - 暮らし