大企業のデーター改ざん事件は続く
KYBによる免震・制振装置の検査データ改ざんが公表された。製造当初から一貫したデーター改ざんのようだ。この間大地震が繰り返されている。免振ゴムの偽装もあった。耐震偽装事件も起きた。どのような気持ちで偽装を続けていたのだろうか。拝金主義で企業が活動していることがよくわかる。企業倫理など初めから無い会社もあると考えた方がいい。大企業と言われる会社が、次々とデーター改ざんをしている。まだ隠している会社は無数にあるに違いない。自ら公表した方がいい。安全の為に付ける免振装置の検査データーがでたらめというのだ。45%のずれのあるものでもデーターを改ざんして納入していたという。安全対策を金もうけの材料としか考えていないという事がわかる。資本主義はこのようになりがちな考え方と思うほかない。資本主義は拝金主義に陥ると最低のものになってしまう。まともな企業もあるのだと思うが、次々に企業のごまかしが出てくると、企業というものは、個人より悪くなるものと思えてくる。
資本主義というものは、人間の競争心を利用することで、努力をする人間になるという考え方なのだろう。競争がなければ、人間働かない。働かざるもの食うべからず。こういう三段論法になる。その考え方が理解できないではないが、この競争は当然能力主義というものになる。能力の高いものが恩恵が高くなる。能力とはどんなものだろうか。能力は努力によって磨かれるのだろうが、努力だけというものでもない。遺伝的な能力差というものもある。私がどれほど努力しても、100m10秒では走れない。誰もが努力をすれば、東大に入れるとは言えない。人間には等しく人権が存在するとすれば、この能力の違いをどのように考えればよいのだろうか。資本主義では能力の高いものは、能力の低いものに対して、配慮をするという倫理によって成立するのだろうか。そうでなければ、弱者が踏みにじられ、弱肉強食の社会になる。この調整が失われてきているのが現代社会である。しかも資本主義が必要とする人材の幅が狭くなっている。最優秀な人以外は、無意味化するような社会が近づいている。
こうして企業の悪事が露見するのは内部告発である。昔の企業はこれほどひどくなかったというのは、見当違いの見方である。昔の企業もひどかったに違いない。社員が企業と一体化していたから、内部告発が起きなかったのではないだろうか。あるいは終身雇用制で、いろいろあっても会社に居残ろうという人が多かったのではないか。簡単に排除されない仕組みがあったから、外部に企業の問題点が露見しなかったと考えた方がいい。私自身も同じだ。養鶏業をやっていたとき、いつ最善を尽くさなくなるかと不安があった。だから養鶏業は60歳で止めようと思っていた。それまでは頑張る。それ以上は無理だろうと思えた。私の目から見ると、何処の養鶏場も正直許せないようなものだった。だから、理想の養鶏の在り方を身をもって示したいと考えてやっていた。商品というものは、信頼で取引されるという事でなく、厳しい監督下に置かなければだめだという事なのだろう。
末期的資本主義競争が世界を支配し始めている。トランプ主義とでも呼べばいいのだろうか。札びらで顔をはたくという、地上げ屋主義だ。強い者は弱いものを支配し、言いなりにさせて構わないという価値観の出現。資本主義は独占化が進み崩壊すると、予測された。それを修正する、経済システムを世界は目指そうとしたかに見えていた。国の能力差を調整しながら、自由貿易を行う事が、大概の利益につながる。弱者が成長することで、強者にも恩恵は及ぶという理想を掲げていた。弱者を踏みにじるような行き過ぎた競争主義は良くないと考えてきた。もうこうした考え方はきれいごとに過ぎないので、捨てるべきだという事なのだろうか。圧倒的な強者であるアメリカが、その牙をむいた時世界はどうなってゆくのだろう。資本主義は修正不能という事なのだろうか。