連続テレビ小説「まんぷく」
NHKテレビの連続テレビ小説は「まんぷく」である。インスタントラーメンを作った夫婦の話。小学生3年生のころ登場したインスタントラーメンは最高の食品に思えた。インスタント食品との出会いを思うと、どんな話になるのか楽しみが膨らむ。その冒頭の映像が抜群に魅力的だ。安藤サクラさんの映像が輝いていてすばらしい。ドリカムの歌に合わせていろいろに歩いている。この歩きがすごい、すごいものだ。今までもよく歩いてはいるのだが、こんな魅力のある歩きは初めて見た。どうしてなんだろう。何故かドラマの方よりも先ず冒頭のこの画面を見入ってしまっている。音楽に合わせて歩く動きで、人間のすべてが表現されているのだ。千田是也という舞台演出家の書いた文章を思い出した。人間は歩く姿ですべてが表現できるというのだ。人間の本質のすべてが歩く姿に出てしまうものらしい。なんとなくそんなものだと思っていたのだが、安藤サクラさんの歩き方を見て、なるほど演技というものはこういうものかと驚いてしまった。驚いてしまって、毎朝感心してみている。すごい役者である。
演技というものはわざとらしいものである。わざとらしくなければ面白くない。ここでもリアルはつまらないものなのだ。演じるという表現はリアルを超えたリアルにならないといけない。嘘を演ずることで、真実に至る。ここが難しいところなのだが、安藤サクラさんを見れば一目了見である。演じているから面白いのだ。演じているから、納得するのだ。まるでその辺の人と同じようにリアルだというのでは、面白くもおかしくもない。わざわざ見る価値もない。下手だから凄いというのが名優である。巧みすぎる俳優よりも、下手だけど納得してしまう俳優というのが素晴らしい。演ずるという事はそういう事ではないのだろうか。安藤サクラさんの毎朝の歩く姿はそういう演技というものの真髄を見せていると思う。踊っているのではない。音楽に合わせて歩いている。面白く歩くのだが、その面白さがこの少女の生き様を予感させている。明るく、前向きな、希望に満ちた世界観だ。
私にはインスタントラーメンは新登場の夢の食品だった。小学生のとき突然出現した。これほどお米大好き人間の恥のようなものだが、どんぶりに入れて、お湯を入れて、3分待つ。それでもう食事が出来ている。安易である。この安易さが子供の私には新鮮に思えたのだ。ラーメンというものをほとんどない食べたことが状態で、インスタントラーメンというものを食べたのだ。何とも言えない、不思議な味であった。あの頃は麺にスープの素の粉が振りかけてあったのではなかったか。特に袋に入ったスープの素というものもなかった。麺も自然の麺とは程遠いいもので、スポンジ状のゴムをうるかせたような妙な感触であった。ところがこの初めての味と感触にははまった。毎日食べたいと言って大人を困らせた。沢山買ってくれて、毎朝、毎朝食べた。すぐ飽きると思った親はびっくりして、禁止にした。理由は体に悪い食べ物という事だった。
安藤さんは俳優一家に生まれた人だ。演ずるという真髄を知っている感じだ。現代日本最高の俳優だと思う。何でもない人も演ずる。自己主張のない全く影の普通の人も演じたことがある。ここがすごいと思う。安藤さんの存在感を消し去る。それでいて記憶でそうだったのかと思い出す。やはり、是枝監督のまんびき家族の演技は、怖い凄まじさがあった。それは樹木希林さんによって、開眼させられた迫力ではないかと思う。樹木希林さんを主役を食うわき役という人がいるが、その見方は間違いである。主役のすごさを引き出してしまうような、起爆作用のある樹木希林さんである。その起爆剤で爆発しないような役者は、爆発能力をそもそも持っていなかっただけだ。「あん」では永瀬正敏さんが爆発した。とても良い演技を見せてくれて、今でもあの演技が懐かしい。そして、安藤サクラさんは役者魂を開眼したと思う。これから新しい映画が見れるかと思うと、本当に楽しみな役者だ。