都市近郊が危うい

   

都市はその周辺あたりが面白い。中央部よりも暮らしの実態見えるからだろう。幸せな暮らしは火を上げていると八木重吉の詩にある。都市周辺部の崩壊が始まった。暮らしの割れ目が広がり始めている。日本は豊かな国土の地域だ。恵まれた水土の国だ。この水土を生かすような暮らし方を日本人は失い始めている。都市周辺部に暮らし始めた、農村からの若い移住者たちが、40年経過して老齢化している。この先、人口減少が始まり、空洞化が始まる。老齢世帯が欠けた後に残るのは空き家である。小田原でも人口減少が始まっている。これから空き家が増加してゆくことであろう。地方消滅は人口の流出である。労働人口が都市に移住してしまう結果始まった。都市以外には若い人の希望するような働く場がない。労働人口が減少する時代である。どれほど地方創生などと政府が声を上げようとも都市の周辺は活性化されないことだと感じている。そして、大半の若者が都市中央部に出る。若者達は都市周辺部には暮らさない。

個人的に言えば、良い時代になったものだと思う。私の場合、80年代に移住をしようと考えた。まだ、地方は受け入れを拒絶していた。無理やり移住をしてもいじめにあうようなことが当たり前に言われていた。ずいぶん捜し歩いて、山北の山の中に場所を見つけた。いくつかの幸運のお陰で移住できた。それより前に一緒に探していた窪川さんは、遠く八ヶ岳の山麓に先に行ってしまった。窪川さんもずいぶん大変だったと思うが、彼の独特の才覚でオリザ農園を作り上げた。その農園は今も奥さんがやられている。私は遅れてやっと見つけた山北で開墾生活を始めた。しかし、不当な扱いが続いた。例えば、届け出なく自分の敷地にある杉を1本切ったというので抗議を受けた。始末書を書いて、後追いで伐採申請書を出した。農道を通るから通行料を出せと言われ今も払っている。農道ではなく、そこは町道であるにもかかわらずである。田んぼを借りようとしたら、水利組合からよそ者には水をやらないと拒否された。我慢はしたのだが、付き合いはしないことにした。

政府が掛け声を上げるようなことは、大体は逆方向になるというのが今までの経験である。地方は創生できないであろうし、女性差別は続くであろう。忖度社会は一層拍車がかかることだろう。障碍者雇用では、法を守るはずの法務省や裁判所までが、虚偽申告をしていたくらいだ。日本の社会にある根底の価値観が変わらない以上、掛け声倒れになるのは目に見えている。根底にある価値観とは、拝金主義と競争主義である。もちろんこれは日本の社会だけのことではない。トランプアメリカは人間の姿が醜く浮かび上がる。結果は世界が戦争状態になる。貿易戦争と言われているが、経済だけでは済まない事態に進むだろう。領土領土と騒ぐ理由は競争心を煽ることに利用できるからである。

日本がこの先進むであろう方角を見定める必要がある。そのうえで、行く末を冷静に考えるべきだ。地方は税金が安くなる。医療費も無料になるかもしれない。都市周辺部も案外の穴場かもしれない。そこそこ便利なうえに、消費者も近い。仕事によっては暮らしの適地になる可能性がある。石垣島に越すのは、もう働けないからだ。年寄りが暮らす最高の場所だからだ。思えば、点々として暮らしたのだが、良かったと思う。身体が動く若い間は都市周辺部に暮らした。子供のころは山梨の山中で暮らした。小、中、高時代は東京だった。大学は金沢とフランス。画家を目指したころはまた東京。最もその時にやりたいことの適地に移住を繰り返す暮らしできた。この後、石垣と小田原の2地域居住が一番良いと考えている。地域に縛られない生き方が出来たことが、自分なりの選択と幸運であった。

 

 

 

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