水彩画の公開制作
水彩人展で初めて会場で制作を公開した。なかなか興味深いことであった。ターナー社から提供された水彩絵の具で松田さんが制作を公開した。手振り身振りでなかなかの話し手である。中央が同人の松田さん。脇にいて仕切っているのが、同人の佐瀬さん。ターナーの絵の具は青が良いんだと言いながら、描いていた。常々、絵の具など何でもいいのだと言いながらも、いろいろの会社の絵の具を使ってみているという事が分かった。そして制作を始めたら、なんと下描きがある。即興的な制作方法だと思っていたので、これも意外だった。制作の手順は実に安定していて、松田流の水彩画の独特の手順が確立している。当たり前のことだが、こうして直接見せてもらうと、なるほどと思わざる得ない水彩技法であった。12人が取り組んだ訳だが、それぞれがかなり違うのだ。これにも驚いた。水彩画の技法は多様なようだ。紙と水彩絵の具という材料から、素朴な印象を受けるが、実際の手法を目の当りにすると相当に違うという事が分かった。これが2時間で描くという事でこんな違いがあるという事だが、じっくり取り組む制作となるとさらに違う事だろう。初めての企画であったが、良い結果が出たと思う。
ターナー社提供の絵の具をパレットに出しているところ。違うのは技法だけでない。実に道具も多様であった。筆は大いに違っていた。ひとりとして同じ人がいない。100円の刷毛から、数万円するコリンスキーの水彩筆。どれだから良い絵が描けるなどという事ではない。私の場合は沢山の筆が手元になければ描けない。1本を巧みに使い分けてゆく人もいた。水彩の材料が素朴でがあるがゆえに、むしろそのひと流に変容するようだ。変容させなければ、自分の表現にならないがために、あれこれの自分流に至るという事だろう。その結果が作品という事になる。ふき取る人もいる。ふき取る為のスポンジや布、紙でも様々。鍋の隅でも磨くものだろうか、見たこともない削り出すような道具の人もいた。絵の具をスプレーに入れてきて、あれこれ吹き付けて制作した人もいた。いずれにしても、それぞれ相当に巧みな筆さばきに見えた。
自分のやり方がずいぶん薄い着色なのだという事を自覚した。私はほとんどの場面で絵は寝かして描く。寝かしていなければ筆の動きが出ない。書道の人が紙を寝かして描くのと同じなのだと思う。水墨画の人で絵を立てて描く人はまずいないだろう。日本画の人の大半が寝かして描くのだろう。しかし、水彩画の人にはどうしても立てて描かなければだめだという人もいる。油彩画は立てて描く人の方が多いいのだろう。画面を立ててみるのだから、立てておかなければよく分からないという事のようだ。絵を描くという事は全くそれぞれのことである。描き方一つでも似ているようだが、まるで違う。芸術としての絵画は内容が違うから方法も異なる。ボタニカルアートであれば、ほとんど同じことになる。多分アメリカン水彩画というようなものであれば、同じ材料で、同じ技法なのであろう。つまりお手本があり、それをなぞればいいというのであれば、同じやり方が良いという事になる。
代表の大原さんが描いているところ。