沖縄の戦後史
日本の戦後史が今の日本の政治状況を作っている。アベ政権というものの背景に保守勢力がある。今の政治状況はその最後のあがきという事だと考えている。最後だからと言うのはこれで終わるというのではなく、新しい武力主義を台頭させようとしている。それは日本という国がどこに進むべきかという事を見失っている為に、分かりやすい拝金主義に傾斜しているのが現状であろう。革新的な勢力の方は、現状否定はしているが、明確な方角は示せないでいる。戦争に敗れた結果として目標としてきた平和国家への道も、見失っているような政治状況。その結果、自衛隊の存在を現実として受け入れる自己矛盾のようなものの上に国の安全保障がある。自衛隊を普通の軍隊にしなければ、日本の安全保障は成り立たないと考えるのが安倍勢力なのだろう。一方で、武力を放棄して平和外交で安全保障を確立しようというのが、革新勢力である。現実世界は、この平和主義が到底通用しないように見える。しかし、武力主義に戻れば、世界は次の戦争に向うという現実も迫っている。さあ日本は何処へ行くのだろうか。
この絶望的な妥協点のない対立が、日本の政治を不毛にして、政治への期待が持てない状況にしている。この原因は明治維新以来の日本の方角をどのように認識するかにある。このことを考えるにあたって、沖縄の歴史を考えてみると見えてくるものあるのではないだろうか。沖縄にある状況は、全く日本本土とは異なる。江戸時代琉球王国として、日本とは異なる国として存在した。民族的には日本人であったが、歴史的には日本に支配された国として存在した。このことが今の沖縄の状況に大きく影響する。沖縄から見た日本というものが存在する。このことをどのようにとらえるかである。そして、戦争の体験も全く違った。そして米軍による基地の島としての占領。この違いが今に至る沖縄の独自性になっている。普天間の問題も、辺野古移転の問題も、この沖縄の歴史を学ばなければ、全く見えてこない部分がある。厚木基地の米軍兵が起こす事件と、沖縄の米軍兵の事件とは、違う感触を産むことになる。
沖縄は受け入れて融合する文化である。宗教を見るとそれがわかる。神社と御嶽。墓地の形。拒絶はせず、融合を求める。武力を放棄させられ、平和的に支配者と接する中で、自分たちの独自の文化を生み出す努力をした。対立よりも妥協。妥協しながらも自らを失わない。これが沖縄のアイデンティというものなのだろう。石垣島といえば、沖縄本島の琉球国からの支配。薩摩藩の支配、さらにその上位に徳川幕府。その複雑な支配の中で、八重山という自己存在をどのように確立するかということがある。沖縄で生まれた空手の文化というものがある。刀という武力を禁じられる中で、どのように身を守るか。防衛をするかである。空手に先手無しという文化である。防衛のみの武力が空手なのだ。この精神こそ日本が目指すべき平和外交のカギがあるきがする。オリンピック種目になった沖縄生まれのスポーツの意味を再認識する必要がある。相手を威嚇しない、空手という自己防御の武力。いわば自衛隊の本来の精神である、防御だけの最小限の武力に似ている。何かヒントにならないだろうか。
八重山の音楽は世界に誇れるものだ。石垣のトゥーラバーマ、西表の仲良田節、こうした傑出した音曲が生まれた理由は、自分たちの存在をどのように確立するかという事にあったのではないか。琉球の音曲というものは、精神であり、沖縄のアイデンティというものなのだと思う。物ととしての芸術よりも、音楽という形のないもののなかに自己存在を求めたところに、八重山の文化を感ずる。八重山の音楽は人間のすべてといってもいいような重いものがある。音楽という形のないところに精神の確立を求める。そうせざる得なかった歴史というものがあるのだが、そのことがより深いものに至る道だったのではないか。本来の沖縄の御嶽という神のいる場所は、何もない拝みどころのようなものだ。何も形がないという事が、清々しいのであり、神の降りる場所として、ふさわしいものとして意識される。神社仏閣という形のなかに、神を意識する文化よりも、意味の深いものを感じる。何もない安心立命。果たして人間はそこまで行けるのだろうか。