石垣の3月3日
石垣の3月3日は最低気温でも24度とあった。28度か、29度の暑さだ。湿度が絡み付く。慣れるまで呼吸が重い。いつも描いている場所を反対から描いてみた。田んぼに近づいて見た。田んぼに近づくと、田んぼの水面を描くことになる。代掻きが終わり田植えを待っている田んぼ。何故か代掻きをしてからそのままにされている田んぼがかなりある。2度代掻きのようなやり方が多いいのだろうか。鏡のようになった水面があるだけだ。田んぼはあまりに語りすぎる。「十六日祭(ジュウルクニチ)」毎年、旧暦の1月16日に行われる伝統行事で、盆と正月と16日祭とある、3大イベントだそうだ。祭という字が付いているとおり、グソウ(後世)の正月。お墓でご先祖と一緒にお正月を祝う日ということだ。お墓のある場所では車の路上駐車が長い列をなしている。お墓の前で飲めや唄えと宴たけなわである。強い日差しの下いかにも楽しげで、自分の墓が石垣ならこれはいいと思うが、自分のところには誰も来ない。かえってさびしいがするが死んで分からないのだから、どちらでも構わないか。
かなり白を使っていた。重い湿気がまつわりついて、絵もそんな感じになる。湿度のようなものは見えているわけではないが、やはり絵には表れている。それは今わかることで、描いていたときは全く考えてもいなかったことだ。観るということにが眼が見るというだけではないということなのだろう。一度乾いた上から白を混ぜた色で描くと、一度塗られた下の色は見えなくなるそれが、もう一度乾くと、下の色が浮き上がってくる。その浮き上がる色は前の色とは違う。ベールをかぶったような濁りのある色になる。この浮き上がるかげんは、経験的なもので、実は出来上がりを感じながら、まったく違った作業をしている。水彩は描いているときと、出来上がると変わるという人がいるが、こんなことを意味しているのだろう。しかし、長年やっていると、今描いている状態とは、違う乾いたときの感じを描いている。おかしなことなのだが、グレーを塗っているのに、後で乾いて出て来る色の調子で描いている。視覚的な眼と絵を描く眼は違うということの一つだろう。これには習練がいるというか、長年そういうことを気にしながら描いてきたということなのだろう。
写真というものはまたまるで違う絵を写している。写真の絵は眼の前の壁に貼ってあるのだが、まるで違う絵のようだ。色を重ねながら描いた絵では、写真の眼に反応する色があって、写真はその色だけを拾い出している。そういうものかとも思うが、何か信じられないような不思議な気がする。これが1週間ぐらいすると絵はまた変わっている。一年ぐらいして、何となく変わった気のする絵もある。この水彩画の変化という物は描き方でもだいぶ異なる。油彩画でもそういうことはあるのだろうか。日本画でもあるのだろう。それぞれにあるとしても、水彩画はかなり変化の大きな材料だ。そのことを身体に入れ込まないと、つい今見ている色で描いてしまうことになる。草のところなど、実はカドニュームイエローレモンで一度塗っている。完全に乾いてから、それを下地として描き進めている。
今日は別の場所で描くつもりだが、明日またこの絵を持って行き描き進めてみる。そういえば絵を言葉化してみろというコメントがあったが、まさにここで書いたようなことが、絵を言葉化するということになる。紙芝居のような絵の説明を言葉化というのではない。羽生選手が4回転アクセルを飛ぶためには、言葉化する必要があるというような意味なのだ。先日、記者会見で4回転と3回転の難しさの違いを、言葉化するように言われた。必死に言葉を探していた。しかし、言葉化できなかった。多分言葉化できたときが、4回転アクセルが飛べた時なのだろう。中川一政氏の書物を読むと、自分がやっていることが、明確に言葉化されている。わたしの言葉があまりに不明瞭なのは、絵が分かっていないからなのだろう。それでもわかる範囲で言葉化することで、自分がダメだということが確認できる。絵を描くときは、そういうことも、すべて考えられない状態なのだが。