石垣で水彩画を描いている。
水彩人北陸展に出すために描いていた絵。
絵に関してブログに書くことは、自問自答である。全くどのように読まれるかは考えていない。ここに書くことで、自分の絵を描くという事を探っている。絵を描くという事は長年やってきたわけだが、考えていることの方が多くなっている。闇雲に描いていても、どうにもならないという経験を重ねてきた。病気になるほどあせりにあせり、描き続けたこともあった。そうして絵が進んだというより、おかしなことになってしまったという事の方が多かった。だめだということに気付くということがともかく難しのが絵だ。回りの絵を描く人を見ていても、絵を描くことで良くなってゆく人の方が少なく見える。年々悪くなる人が大半で、たまに良くなった人がいて驚くことがあるくらいだ。絵が良くなるなどという事はよほどのことのようで、自分の絵を考えてみると、良くなることより、又悪くなったと思う事ばかりである。日々、悪くなっているのではないか、衰えているのではないかという、恐怖を味わっている。
絵が進むという事は極めて難しいことだ。努力はしているが、どうにかなる気にはなれない。若い頃は感性に任せて描いていたような気がする。絵はこんな感じであろうと、様々な絵から学んだ世界を自分の世界だと勘違いして、それがお菓子カットも思わないが。作り上げた幻想のようにも飼いならして、絵を描いていた。それは現実の自分とはかなり遠い世界の物だった。絵は絵空事を素晴らしくでっちあげるものだと思っていたのだろう。上手く見えるために描いていた。人から自分の絵がどのように評価されるのか、どう見えるのかという目線で描いていた。売れる絵を描くのは難しいが、売れている絵を描くことはそう難しくはないよと、あまり売れていない人から聞いて、なるほどと思ったことがある。やはり売れるのは難しいのだ。その人よりは売れていたころで、私の絵を売れそうな絵を目指していると指摘していたのだろう。今思えばその通りである。
北陸展に出した絵は上の2点を描き進めたものにした。次に進む方角と合えばと考えていた。絵を創作するということはどういうことなのか。到底わからないことであるが、昨日は描けなかった。久しぶりに描こうとして描けないままだった。つまり創作するものとして、制作しようとする意識が強いと描けない。写生する手になれば気持ちよく進む。それでいいようにも思えるし、それではだめだという思いもある。今回は、絵が描けないとしても、制作を現場でしてみようと思う。絵が描けないもう一つの原因は石垣の市長選挙である。このまま石垣島が、基地の島になってしまうような、暗い気持ちがある。こんなことを何故受け入れてしまうのだろうか。今石垣島は清明祭という旧暦1月19日のお祭りである。各地に出た人が戻ってきている。泊めてもらっているアートホテルでも大きな八重山高校の同窓会が開かれていた。
帰る場所がある若者たちでにぎわうホテルのロビーに座っていた。そういう気持ちとははるか遠い世界にいる。そして、石垣島の田んぼを描こうとしている。移り住むことが決まり、島の景色も変わったのかもしれない。住み始めればまた変わるのかもしれない。私という人間が、どうなるのであれ、この場で結論を出すことだけは決まった。サブローラーで天地返しされた、レンガ色の土を見ながら、ここでは畑はやらないのだと思った。やれないのだと思った。この先どこに行くにしろ絵を描いてゆく。昨日は暑い日だった。日差しは夏だ。緑がずいぶんと濃くなっている。緑の多様さには驚く。