特別防衛監察という身内調査
速やかに出されるはずの防衛省の特別防衛監察が、4か月たった今も出されないでいた。その理由は稲田大臣も隠ぺいを了解していたらしいという事が出てきた為だったらしい。特別防衛観察は防衛大臣には調査が及ばない。防衛大臣が命令して、省内の不祥事を調査する組織だ。今回の特別防衛監察は南スーダンでの現地隊員からの日報による報告が、正しく伝わり、保管管理されていなかったおそれが出てきて行われた。現地ジュバにおいて、戦闘があるという国連の認識と、日本政府の戦闘はなく安全な地域だという、国会答弁にずれが生じた。そこで日報ではどうなっていたかという問題が出てきた。日報ではなんと、戦闘状態だという報告がなされていた事が分かった。ところがこの報告を、すでに破棄したと陸上自衛隊は説明していたのだ。ところがよく調べてみたら、破棄されていなかった。破棄したと発表した以上、破棄したことでつじつまを合わせていたのだ。虚偽の報告を行う事に当たっては、稲田防衛大臣も了承していたという事が出てきたのだ。
どう考えても防衛省の文民統制は出来ていない。国防としては極めて危険な状況である。すぐにでも、外部組織が自衛隊内部を徹底調査しなければならない事態である。稲田防衛大臣の使った、「認識がありません。」という言葉は実に都合の良い言葉だ。以前の証人喚問では、「記憶にありません。」が流行していた。その次によく言われたのが、「刑事訴追にかかわることなので回答できません。」そして、この度登場した言葉が、認識がありません。悪弁護士用語だ。認識がないと言われたら、これはもう相手が何を言おうが、後になればどうにも覆せる言葉。自衛隊を選挙に利用した際には「誤解が生じたならば、撤回させていただきます。」などと弁明して誤魔化して終わっていた。その応援演説を聞いた人に対し、その発言が間違いであったことは、どうやって説明したのだろうか。公人たるもの一度公言したことは取り消せないのは当たり前のことだ。
防衛省は出先の隊員の個人メールなどは真偽が疑わしいぐらいで、済まそうとしたわけだ。ところがジュバの衝突は防衛省の方でも、充分に把握していたという事が分かってきた。しかし、その時点でも国会では、ジュバには戦闘はないと、稲田氏は国会答弁をしているのだ。何というひどい大臣であろうか。大臣が無視されていたとすれば、文民統制にかかわる。大臣にも戦闘の認識が共有されていたとすれば、隊員の命を軽んじた虚偽答弁になる。そこで「認識がありません。」が出てきたのだろう。幹部で相談した結果、稲田氏に報告を上げ、最終判断を仰ぐのが普通だ。その報告を稲田氏が認識できなかっただけだというのだ。認識が出来なかったで誤魔化してしまう防衛大臣で日本の防衛はどうなるというのだろう。派遣された自衛官は無念であろう。この先日報には戦闘行為は記載されないだろう。軍という武力を司る防衛大臣が、自分の保身だけの発言をしているようでは、日本には安心も安全もないことになる。政治家として、責任を取るという事はどこに行ったのだろう。
なぜ、こんな事態でも防衛好きの右翼の連中が、稲田更迭を主張しないのだ。安倍総理大臣も稲田支持に回るのか。あきれ果てる。これが文民統制の実態である。それでも辞めないでほしい。辞めたら靖国好きの連中の知性の低さを見せつけておけない。靖国に参拝する政治家は押しなべて、保守派の歓心がほしい名誉欲だけの人種だ。本当に国のことを考える人間であれば、潔く自ら辞任するに決まっている。それができないという事は後ろから操られているだけなのだ。何とか最後まで醜く頑張ってもらいたい。それが日本をまともな国に生まれ変わらせる、再出発になる可能性もある。誰かが後ろから引きずり降ろすのも止めてもらいたい。一日でも長く文民統制の無意味さの象徴として、軍というものの性格を表す見苦しい存在として、防衛大臣をお願いしておきたい。いや、それでは日本が危ない、というようなことは実はない。