冬水田んぼの経験など

   

「たんぼでそだつ、ひと・稲・生きもの」の交流会イン小田原 

                         あしがら農の会 笹村 出

あしがら平野のあちこちで、29年間自給の為の田んぼをやってきた。丹沢の山中から、小田原の住宅地の中まで、様々な環境で田んぼを行ってきた。田んぼというものは外から見ている分には、一見どこも同じようであるが、中に入って耕作してみると一つ一つずいぶん違うものだ。この間生き物観察を各地で企画して、地球博物館の苅部 治紀 主任研究員に指導いただいた。生き物が豊かそうに見える田んぼが案外に何もいない田んぼで驚くという事を経験した。何故生き物がいる田んぼと、生き物がいない田んぼがあるのか、実に不思議だし、面白いものだと思う。この地域がすでに生きものの多様性という意味では、失われた危うい地域だと思う。それでも、桑原鬼柳地区の田んぼは生きものが豊富だと感じる。私は子供の頃山梨県の境川村藤垈というところで育った。そこでも田んぼをやっていた。つい昔と較べてしまいついつい生きものが少ないと思ってしまう。

丹沢山中の不老山の奥や高松山の山中に田圃を作り、やったこともある。塩沢という小さな集落から30分ほど歩いてしか行けない田んぼだ。そこで5年ほど田んぼをやった。毎日歩いて通ったのだから、良く続いたものだと思う。田んぼに来ている水はそのまま飲むことさえできるすばらしい環境の田んぼだった。しかし、そこは意外に生きものが少ない田んぼだった。新しく田んぼを始めたところでは生きものはほとんどいなかった。塩沢は江戸時代にはすでに田んぼがあった場所だそうだ。人の暮らしがある場所には田んぼがある。江戸時代には炭焼きなどで丹沢の山中に大勢の人が暮らしていた。その人家の痕跡だけは数か所残っていた。その不老山の塩沢の谷筋では大きな水害があり、すべての人家が無くなったのだそうだ。田んぼが昔作られていたらしい痕跡を10か所ほど見つけた。その中の一番広い田んぼが2反ほどあり、そこで田んぼをやらせていただいた。20年ぶりに田圃を復田したわけだが、そこでは特別の生きものを見つけることはなかった。田んぼに戻してから5年間の間生き物が増えた様にも感じなかった。ただ田んぼをやったからと言って、自然の回復は難しいものだと感じた。

小田原久野では20年近く田んぼを続けてきた。ここも意外に生き物が少ないと感じている。自然農法で田んぼを続けている訳だが、生き物が増えたという感じはあまりない。田んぼのなかや、畔やその周辺に増えてくる草は帰化植物ばかりが増える。ビオトープのようにただ見ているだけでは、昔に戻る自然の回復できなくなっているのではないか。その地域で絶滅してしまった生物が復活するという事は無く、海外からの生きものが増加して当たり前のことだろう。かつてはなかった様々な外来種の生物がはびこってくる。帰化植物の増加が自然の回復とはいえないのではないか。誰しもこうした複雑な思いがあるだろう。桑原では10年ほど田んぼを行った。あしがら地域の田んぼのなかでは生き物が少し豊な気がした。酒匂川からの湧水があることと、全体が田んぼ地帯であり一定の規模がある。加えて通年通水の自然水路が残っていたためだと思う。とはいえ、私の子供の頃の藤垈の田んぼの豊かさに較べれば、あれも居ないこれもいないという事になっている。日本の里地里山はすでに危うい。

里地里山では人間の暮らしが手入れを通して行われてきた。このことが日本の自然環境を作り出しと言ってもいいのではないか。東洋3000年の循環農業である。日本の自然は人間の暮らしとのかかわりで生まれたものだ。手入れをする暮らしが無くなれば、里地里山の自然は衰退する。地域に根付いた暮らしはなくなり、人間も弱まるのではないか。ここで考えなくてはならないことは、手つかずの自然保護の思想と暮らしの周辺の環境維持の混同が起きている問題だ。暮らしには暮らしの環境維持の考え方が必要である。地域に根ざした暮らしの回復がなければならない。田んぼが無くなれば里山の維持もできなくなる。これは神奈川県の里地里山条例の検討の中でも確認されたと書かれている。残される水田が大規模化し、水路はコンクリート化し、それでも稲作自体の継続が危うくなっている。大規模稲作に小規模稲作は押しつぶされるはずだ。新しい田んぼの維持の仕組みを模索しなくてはならない。今後10年で急速に日本の自然環境は衰退するだろう。日本の経済の方向が自然を軽視しているのだと思う。

田んぼの価値の自然環境維持からの見直しがない限り、田んぼは遠からず無くなるはずだ。経済優先という事はそういう結果を生みだしている。競争経済の中で、稲作を考えれば、日本の稲作は自然軽視の大規模な工業的稲作だけが残る。自然の田んぼが無くなることで失われるものがどれほど大きいことか。人間の暮らす環境の見直しが必要である。沖縄本島ではすでに田んぼは無くなったに近い。田んぼが無くなりどういう自然の変化が起こるか検討すべきである。石垣島と西表島では田んぼが残っている。どのように自然の状態が異なってくるのか、比較調査してみる必要があるだろう。西表が世界自然遺産に入るとすれば、西表の田んぼはどのように残されるべきなのか検討が必要である。そしてどうすれば「たんぼでそだつ、ひと・稲・生きもの」 が実現できるかである。農の会はこの中の、ひとが田んぼで育っているのだと思っている。

農の会の田んぼは自給の為の田んぼだ。素人の勤め人が集まってやる田んぼだ。その中には自然農法で反収10俵を超える田んぼも複数ある。県の平均収量をはるかに上回っている。自分が食べるものを作るという事は、自分の人間を作るという作業だと思う。そこに経済とは別の価値を見ている人がいる。ご先祖様から引き継いだ田んぼを、子孫に残すという瑞穂の国の理念はすでに忘れられ久しい。今度は国際競争力のある稲作が叫ばれている。日本の里山に無数に広がる小さな条件不利の田んぼは、経済的には大規模農業との競争はできない。新しく田んぼを残してゆく方法として、自給の為の稲作を提案したい。年間12日の作業と1万円の会費で、一人100キロのお米を、得ることができる。この活動は日本中どこでも可能である。現在足柄平野10か所に自給の田んぼが行われている。この25年の実践を真剣に観察してもらう価値はあると思っている。

 

 6月18日に梅の里会館で行われる、ラムサールネットの交流会での配布文章。

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