今村大臣記者会見から想像されたもの

   

今村大臣の暴言記者会見は、質問した記者があまりにしつこいから仕方がなかったという意見が、擁護派から出ている。そうしたら今度は震災が東北で良かったという発言を生んだ。こんな人間を甘やかしていたのはどこの誰だ。大臣のままで置いた安倍晋三氏、さらに擁護したかなりの世間の人達が悪い。あの質問程度でしつこすぎるという事は、常日頃の記者会見は馴れ合いの形式的記者会見に過ぎないという事だ。記者会見は一応やるにすぎない。今村大臣はここは論議の場ではないと怒鳴っていた。しつこくして本音を口に出させることが出来れば、それは報道記者として成功したという事である。報道は大本営発表を垂れ流せばいいものではない。政府は正当性を主張したがるものだ。報道は権力を批判的に調査報道してゆくのが、役割のはずだ。報道も経営を重視するから、テレビも反政府的な言動をしたら、コマーシャルを制御して抑え込め。こういう考えを自民党は主張したことがある。もう報道はそんな風に尻込みし始めている。そのことがあの記者会見で見えた。あのしつこいと言われた人はネットの記者だそうだ。

大切なことは今村大臣が自主避難者は本人の意思で避難したのだから、自己責任であると考えていることである。これは政府の統一見解なのだろう。加えて、震災が東北でまだましだというのも、政府の統一見解なのだろうか。安倍首相も謝罪はしたがこの点は否定していない。ネットの中でも、勝手に避難した人間にまで、税金を使うのは間違っているという意見が散見される。門田隆将という人はそんな意見を書いている。ある意味震災が自分の所でなくてよかったというのが、国民の中にある心無い想いなのだろうか。表立っては現れにくいのだが、名前のないコメントなどではよく出されるものだ。避難者のくせに、見舞い金を貰ってパチンコか。毎晩酒浸りだ。そんな心無い言葉が出てくる。大学の先生が、明かりを消してみろ、福島から来たなら光るかもしれない。と冗談で生徒を傷つけた事件があった。世間には人間のどす黒い心が漂っている覚悟が必要だ。今村大臣は政府の本音を思わず出した。災害に遭遇した人たちに寄り添うどころか、怒鳴り散らしていることになってしまったことに気づかない人なのだ。

二度とお前は来るなと宣言した。果たして大臣にはそいう権限があると考えているのだろうか。あの場面で黙っていた、周辺にいた記者の人たちは、大臣を擁護する空気なのではないか。大臣が二度と来るなと言えば、来れなくなるような自主規制の仕組みがあるのかもしれない。あのこけおどしの恫喝にはそんな空気を感ずる。大手の記者たちはしつこすぎるネット記者を見下していたのかもしれない。迷惑そうな空気が流れているように感じたが、どうだろうか。しつこいのは素晴らしい記者魂だ。私が、そこの場に居たら、大臣きちっと答えてください位の援護発言をしたい。記者会見に挑むという事は、大臣も記者も真剣勝負でなければならない。最近の大臣は、国会の発言でも前言を取り消せば済む。こんな風潮に成れてしまった。しかし、言葉は一度出したらば戻らない。それはデンサー節にも唄われている。政治家なら発言することには命を懸けて欲しい。前言を取り消す時は政治家生命が終わるという事だ。

それ位い真剣な姿勢でなければ、代議員の責任は取れないのではないか。政府も本音を隠さないでほしい。本音を見せてそれを国民が判断する。自主避難者は自己責任と考えている政府を良しとするか、ダメだとするかは国民が決めることだ。震災が東北でまだ良かったという発言に嫌悪を感じない日本人では終わりだ、と私は思う。発言に責任がないという事は、政治をいい加減なものとする結果になっている。稲田氏など記憶違いだっただけで、嘘をついた訳ではないなどと、こんな幼児の言い訳が国会で通用している。知らない間に総理大臣の名前が利用される学校法人の名誉校長を夫人がやるというのもおかしい。政治家が真剣なものではなくなっている。何をやろうが、どう適当であろうが、どうせ国民は自民党を、アベ政権を支持するという事態になっているからだ。今はまだいいかもしれないが、この結果日本が大変なことになりそうな気がする。

 

 

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