石垣島の春のすばらしさ
南の島の石垣。冬はないといってもいい。長すぎる春がある。ブーゲンビリヤ、ハイビスカス、島桜がいたるところに咲いている。春節で中国からのお客さんが街にあふれてにぎやかになる。例のごとく暑がりの白人の観光客は半そで短パンで歩いている。ダイビングスポットとして、世界に知られているということで、若い欧米人も島の至る所で見かける。島は建築ラッシュである。マンションとアパートの工事中の建物が目立つ。アパートは借り手が溢れているそうだ。来るたびに新しい建物が出来ている。別荘地はリゾート開発されたと思われるが、こちらは意外に活気を感じない。バブル時代に開発されたまま取り残された感がある。使われなくなった別荘が一軒あるだけで空気が変わる。結局世代が変わると別荘というものは忘れ去られる。暮らしのないものはどうにもならない。暮らしのないところでは絵を描く気にもならない。農家の納屋は絵に描きたくなることもあるが、古い別荘では絵を描く気にはならない。
結局石垣で面白いのは、石垣の街ではないだろうか。本島の街はどんどん東京化してきていて、沖縄という感じは、首里城や国際通りなのだろうが、あれは沖縄的というより、観光地として作り上げられた感が強すぎる。何故ああした観光開発の方向だけになるのだろう。石垣の街はごく普通に暮らしている。八重山諸島の中心の港街として生きている。観光地的に表看板だけ塗り替えた街ではない。金沢など、昔の空気は無くなってしまった。昔はそれほど特徴があるとは言えなかったが、人間が普通に暮らしているたたずまいは残っていた。それが懐かしい。どこの観光地も同じで、木曽の奈良井宿と言っても映画のセットのようで、何の魅力も感じない。要するに暮らしのないものがきれいに復元されていても、魂が宿らない。石垣は違う。もちろん東京的な街に変わり続けているのだろうが、まだかろうじて、八重山の空気が残っている。これが実に貴重だと思う。この空気こそ大きな観光資源だと思うのだが、やはり老齢化で本当の石垣の人はどんどん減少しているらしい。
石垣島で絵を描くなら、2月がいい。水田に水が張られ、水土が漲る。島に活力が胎動する。サトウキビの刈り取りがどんどん進み、広く切り開かれた丘陵がモザイク模様を作る。日本中が一番寒い季節を迎えているこの時期、石垣では25度まで気温が上がる。低いと思っても昼間は20度である。いちばん過ごしやすい季節だ。確かに雨が多く、南の島の青い海、青い空という訳ではないが、むしろこの島らしい景色になる。働いている島。暮らしのある島。車を止めて絵を描いていると、大型のトラックがサトウキビを積み上げて、地面を振動させながら走り抜けてゆく。トラックが走り抜けた後、次のトラックが来るまでの、長い静寂。水を張られた田んぼでは鷺が一日中餌を探している。大マダラ蝶がひらひら落ち葉のようにゆっくりと飛んでゆく。風の強いこの島で、この蝶は飛ばされてしまわないのか心配になる。
今回は名蔵湾の方で良い場所を2か所見つけた。赤崎というところの田んぼと、バンナ岳の南斜面に少し登ったところだ。今まで見つけたところが、宮良川の上流の橋の上。白保の水道タンクの西側。桃里にある公民館付近。バンナ岳から名蔵方面。これで6か所も絵を描きたくなるところを見つけられた。これほどのところは他にはない。6か所あるという事はその日の、季節や天候や時間で描く場所を選べるという事になる。同じところを何度でも描きたくなる。描きたいので描くだけなので、理由はよく分からないが、どうも線を導き出してくれる風景のような気がする。書道のような線をそのままに風景が構成されている。面でとらえるヨーロッパの風景と対極に位置するのではないか。これは誰でもそうなのか、私だけのことなのか。その辺は分からない。石垣の春ほど面白ところはないだろう。