水彩筆 3-2

   

よい筆はないかと思ってついつい探すくらい筆には関心がある。一般に水彩筆というと、コリンスキー、とかセーブルという事になる。イタチは水に潜る動物なので、水彩筆に向いているという話がある。私はいわゆる水彩筆よりも、どちらかと言えば書道筆を使っている。コリンスキーの水彩筆も何10本も持ってはいる。持ってはいるので使う事はある。絵を差し上げたら、筆一式をくれたのである。良い絵を描いてほしいという励ましだと思い、大切に使っている。紙はその国の文化を感じさせる。ファブリアーノはイタリア的な紙で、アルシュはフランス的な紙だと思う。なんとなくその国の文化を紙が感じさせるというところが面白い。同じように筆も文化を反映しているといえる。大きくは東洋は筆で、西欧は刷毛である。平筆注中になるか、丸筆中心になるかということだ。風呂屋の看板絵は刷毛絵である。敦煌あたりの絵を見ると刷毛と筆が混在している。日本の筆は日本人の気持ちを表現するのに適している。良い文化が成立した時代には良い筆が出来た。曖昧なまま互いに了解できる、感性共有の文化。にじみとか、ぼかしとか、曖昧さを残しながら、日本人の精神世界にふかく踏みこんでゆく。

日本の芸術は阿吽の呼吸で侘び寂を、表現し、理解する。曖昧であることが、より深い世界を暗示してくれる独特の文化的共有性。筆跡に、作者の意思を、思想を、感情を曖昧なまま表現することができる。真実は実に不明瞭なものだが、不明瞭であるから真実の共有が可能となる。そのあいまいさに反応してくれる筆が、良い筆という事だ。筆跡こそ水彩画の特徴を表している。日本の筆が少しづつ質が落としている。それは日本の絵画文化が衰退期に入ったことと適合する。アクリル製の筆先で良いという背景にある、文化の共有性の喪失。筆はまず材料であろう。日本の筆は様々な毛を複合して作るところに特徴がある。硬目の毛で、腰を出し、芯にして、覆うように含みの良いヤギの毛で水を含ませる。鹿はしなやかで弾力を出す。タヌキや猫の毛も使う。中国の筆がすべてそうなのかは知らないが、単一のものが多いい。ヤマネコやら、ユキヒョウの毛を単独で使ったというのものを持っているが、本物かどうかは分からない。

日本の筆会社が中国に依頼して作っていたものが、しばらく前から、中国に上質な筆が現れたような気がする。今は中国筆の方が同じ価格ならば上質である。羊と書いてあるのは実は多様なヤギの毛の使い分けをしているそうだ。要するにありとあらゆる動物の毛の採取の部分を変えて使い分ける。こういうことは中国が得意な分野である。同じ動物でも使う部分は限られている。猫の毛でも実、雄と雌では全く違う。猫の背中の堅い毛で作ったという筆もある。筆の使い方で毛の質は変わるという事だろう。毛の質が見分けられなければ筆は作れない。筆は消耗品だから、昔のものは残らない。使い勝手の良い状態の期間というものがある。下ろしたての筆は使いにくい。だんだん使い勝手が、使う者と筆で分かり合える。そして限界を超えて、使えないことになる。

使えなくなった筆を筆神様としてまつる。筆への感謝である。感謝という事では、手入れ方法である。まず描いた筆は良く水洗いをする。乾いた布で静かに押さえつけて水けをとる。そのまま穂に癖がつかないように乾かす。絵具をつけたまま乾かすのは良くない。墨であればもっと悪い。固まってしまった筆の場合、3日はかけてほぐしてゆく。静かにほぐさないと穂先の重要な部分が切れてしまう。この時軸までは水につけない。一時間に1回くらい軽く籾洗いをする。ある程度ほぐれてきたらシャンプーを使う。また、水に浸けて置きゆっくりゆっくりとほぐす。墨や絵の具が完全に取れるまで時間をかけて洗う。リンスで仕上げる。そしてよく水分を取り陰干しをする。柔らかくふんわり広がるようになったら、戸棚に格納する。必ず防虫剤を入れておく。

 

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