石垣島の面白さ
石垣の11月は昼は30度を超え、夜は25度を超えの熱帯夜がある。夕立もあるし、雷もなる。小田原の夏と似ている。絵だけ描いているのだが、楽しい毎日である。今日も思い切って絵を描こうと思うと、早く寝たくなる。石垣島のどこが良いのかと聞かれたことがあったが、その時は思いつかず、空気感がいいと答えたが、答えになっているとも思えなかった。石垣島は農業が盛んなところだ。その意味では、宮古島のほうがさらに熱心に農業がされていると思う。農業に熱心だから好きなことは確かだ。島だからよいのかといえば、小浜島のほうが離島らしくていい。海がきれいということはあるが、特に海が好きということもないし、海を描こうとも思わない。空がいいかといえば、絵になる空の日は少ない。変化のない空が多く、どちらかといえば絵になりにくい空だ。やはり、田んぼや畑の自然との具合がいい。自然にしたがって農業がおこなわれている様子がいいとしか言いようがない。
宮古島もその点いいのだが、田んぼがないところが残念なところだ。山がないから水がないのだ。石垣には於茂登岳という山がある。526メートルとあるから結構高い山だ。バンナ岳という頂上まで自動車道路がある山もある。そこに上ると島全体の田んぼの様子がよくわかる。そのふもとから川が幾本も流れ出ているのだが、今はどの川も上流にダムが作られている。だから5万人の人口と、その数倍の観光客が暮らせる十分の量の水がある。田んぼの水も困ることはないといわれていた。川は宮良川と名蔵川と轟川があるが、自然河岸である。そういう川の姿がいい。田んぼはその流域にある。マングローブ林を切り開き田んぼに代わってゆく。そういう河岸の湿地帯は田んぼを作るには向いていたのかもしれない。島の北東のはずれには平野という開拓集落があり、そこには多良間島から出作りされていた田んぼ跡がある。山があるから水がある島。
田んぼが面白いのは水との多様な関係だ。人間が暮らすためには水がいる。その水とうまくかかわる技術が、瑞穂の国を作り上げた文化。その原初の姿が残っているのが八重山の田んぼだろう。大型のユンボヤ、トラックたーが至る所におかれている。田んぼは大型機械で作られている。よく区画整理された田んぼだ。田んぼの土は悪くない。粘土質もしっかりとある。水持ちも良いし、水自体が岩清水を上流でためて使っている良い水だ。澄んだ清流が流れてきたので、世界一ともいわれるサンゴ礁が形成されたのだろう。ただこの暑さと台風に対応するのは難しいことだろう。土壌的にも、火成岩の隆起したような地層の場所もある。、サンゴ礁の隆起した石灰岩の風化したところもある。かなり複雑で多様な地層と想像される。田んぼも畑も、土壌に対する工夫が必要だったと思われる。絵を描いていて土壌の違いが、風景に変化を与えてるのを見つけたりする。これがまた面白い。白保地区では日本最古の人骨の完全なものが見つかっている。考古学的にも興味深い地域なのだろう。
多様な自然環境を持った石垣島には総合性がある。その結果人は古い時代から継続的に暮らしが行われてきた地域だ。そして、日本で一番の唄の島、芸能の島になった。昨夜、「鷲の鳥節」を聞いたが、いわゆる沖縄民謡とはまた違うものを感じた。奥深く、大きな深淵ともいえる世界が浮かび上がる。「とぅばらーま」だけが傑出しているわけではない。素晴らしい唄がたくさんある。こうした唄を生んだのが、石垣である。それを描きたいと思っている。その唄に漂っているものを絵にしたい。私の絵からそういう世界が少しでも出てくれればと思う。そんなことを思うと、歯が立たない。少しもできない。そんな絵を目指して絵を描いていると、面白しろくてきりがない。住んで描くとまた違うことだろう。私の石垣の絵を見て、旅行者の絵は無意味だと語った人がいた。むしろ、こうして通いながら描くことだから、見えるものもあるかと思っている。いずれ私の里地里山の絵だ。