木鼓を敲く

   

音楽好きが集まって作ったスリットドラムの合奏をした。数えなかったのでよく分からなかったが確か12名は集まった。予定では森の中で敲こうという事だったが、雨の予報で急遽南足柄の公民館に集まって敲いた。ただただ楽しかった。こういう一日が持てる仲間がいるということは幸せなめぐりあわせだ。生きていることの喜びの形だと思う。忘れられない思い出になった。音楽を楽しむという習慣が、暮らしから失われてしまった。部落の祭りには歌や踊り、太鼓はなければならないものだった。急にそういう場面になると太鼓や笛で目立つ人が現れたものだ。普段の暮らしから晴れの日の祭りの世界に、転換するには音楽や踊りは必要不可欠なことだ。音楽の力が日常から解き放ってくれる。日常の音楽は労働歌である。田植え唄、草取り唄。子守歌。そして盆踊りの先祖に繋がる唄。昔の日本人は音楽と伴に暮らしていたのだと思う。

楽器も自分で作るという事が良いと思う。自給できる楽器と言えるようなものが木鼓である。タングドラム、スリットドラムだと思った。誰でも敲けるし、プロのミュージシャンの高いレベルの希望にもかなう楽器。それを未経験の私でも作ることができたところに、この楽器の無限の可能性と、面白さがある。沖縄の三線は本来太鼓の代わりだという。古い時代は太鼓を敲いて、歌を唄った。中国から三線が渡ってきて、徐々に太鼓の代わりとなる。だから三線は演奏楽器ではない。あくまで唄三線であり、伴奏楽器である。太鼓のようなリズム楽器であり、あくまで踊りや歌をサポートする楽器である。しかし、三線は太鼓より音階がある。太鼓も音階のあるものが作り出される。オーケストラのチンパニーは音程の指定に合わせて鳴らす。木鼓も高音、低音、止音の3つ位はあった方が面白い。合奏したときなど演奏の可能性が広がり、面白いのではないか。これが私が作っている木鼓である。

木鼓は大木の中をくりぬいて作るものだ。東南アジアから、ポリネシアやミクロネシアのものが有名だ。村同士の連絡などにも使ったようだ。中国では木魚、アフリカではタムタム。ある程度の音階が有る木鼓もある。木が響く音自体が心地よいものだから、これを敲きながら歌を唄うということになるのは当然なことなのだろう。木鼓に革を張ったものが、日本の太鼓だ。皮張りの太鼓は音が響いて迫力はある。木鼓は音は大きくはないが、懐かしい柔らかな響きがある。森の響きそのもののような、染み渡る味わいがある。そういう音を何とか作り出してみたい。みんなで敲いたもので、又木鼓開発に力が入った。早速2つの試作を始めた。一つは大型の4面パドックで、スリットの入れ方の究極形である。もう一つは小型の4面パドックで、小さいながらもそこそこの音が出るものだ。今年中には作り上げたい。

唄や楽器は子供の頃から好きだった。ハーモニカを子供の頃吹き続けていた。縦笛も学校でならった。中学の頃はなぜかフルートをやった。大学の頃はみんなで何かと歌を唄った。フランスにいた頃は集まっては歌を唄った。フランス人が唄うと低音部、高音部と、いつの間にか合唱になるのには驚いた。日本人も頑張って日本の唄を練習したものだ。結構いい線行っていたと思う。もちろん今でも唄は好きだから、三線を弾いて、毎日大声を出している。今は老化防止のようなものだが、いつか西表の仲良田節を唄えるになろうと努力している。音楽というものが演奏するという立場から、受け身の聞き手、消費者になった。確かに良い歌い手の唄を聞くというのは、良いものだが、聞くより唄う方が良いに決まっている。

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