読売巨人軍の賭博選手
読売巨人軍の若い3選手が、野球とばくをしていたということで、処罰された。起訴されるのかどうか現在検討されている。有りそうなことだと思う。野球選手が子供たちの信頼を裏切ったということをコミッショナーは述べていたが、それほどのことではない。公営賭博ということが行われていて、賭博自体は別段悪いこととはされていない社会である。むしろプロサッカーなどでは、試合にかけるということは公的に行われている。サッカー選手がくじを買ってはいけないのだろうか。野球には野球くじというものが現在行われていないということに過ぎない。こういう社会環境の中で、若い野球選手の賭博の歯止めになるものは小さいと言わざる得ない。国が行う賭博は国の所場代が大きくてもうけが少ない。民間としては、自分たちでやれば、戻りが大きいと考えるだけのことになってしまう。国は公営賭博の営業を守るために、一般のかけ事を犯罪とする。これは酒税法とどぶろくの関係とよく似ている。政府が集めた年金基金で株式投資をするのも公営賭博なのか。
賭博は国が胴元になろうが、反社会的勢力が胴元であろうが、悪いことには変わりがない。賭博ということ自体が倫理的に良くないことなのだ。その良くないことを国がやるなら許されるということ自体がおかしい。最近言われているのは、ラスベガスの様なカジノを国が開催するという案が出ている。儲かるからだそうだ。このご時世になって、まさに拝金主義の国の政府らしい判断である。儲かることが正義だと判断している。こういう政府の下で、若い人の野球とばくを断罪できるものなのだろうか。そもそも、プロ野球というものは勝ち負けを職業として争うものだ。勝った負けたで一喜一憂して、楽しむのが観戦スポーツである。私は子供のころから野球より、相撲だった。星取表をつけるほどの相撲ファーンだった。ところがこちらの方も八百長相撲で散々たたかれた。無気力相撲の問題というより、やはり、力士の間に裏社会の賭博が広がっていたのだ。
今回の野球とばくでは3人だけが問題にされているが、3人だけだと考えている人はまずいないだろう。ほとんどの選手が賭けゴルフやマージャンなら、行った経験があると想像する。野球とばくですら、たぶん100人くらいは経験者がいると想像する。野球選手の若い頃から育ってくる環境を考えれば、そいう想像の方が普通だ。韓国に親善試合に行った日本の強豪高校サッカーチームが集団万引きをした。スポーツを奨励する高校の選手を育てる環境の中には、硬いことばかり言っていたら、良い選手は育たないというような空気がある。例えば飲酒経験があるか、喫煙はどうか、などを調査すれば、必ず出てくる。きれいごとでごまかさない方が良い。勝てば正義だと、勝てば高校の名声が上がり、経営が良くなるというような環境がある。だから、顧問の教師がそうした不健全な行為に気づいたとしても、少々のことは目をつぶり、自分の立場を守ろうとするに違いない。教育の倫理はない。
公営賭博を廃止したとしても、賭博をやる人は後を絶たないだろう。むしろ、アメリカの禁酒法時代ではないが、裏社会の賭博が蔓延するに違いない。何を良しとして何をダメとするのかの根本には、国に倫理がなければ判断ができない。公営賭博は出来るだけ縮小してゆくことだ。表沙汰で良い大人が堂々とやるようなものではないという意識が持たれなければだめだ。パチンコも同じだ。実際にはパチンコは賭博だ。賭博場が町中に蔓延している国というのも珍しい。やるのは仕方がないことではあるが、あまり好ましいことではないとすべきだ。社会はきれいごとではないので、仕方がない。この仕方がないの加減を上手くやる必要がある。子供はそんなところをよく見て育つ。