水彩絵の具の変化
クサカベで見学の前に絵を描いているところ。
水彩人でクサカベの工場見学を行った。16名が参加した。私の絵の具に関する知識は学生のころのものだ。やはり絵の具やさんの技師の方が、金沢美大に講義に見えてそれを受けた。それをきっかけに油彩画の科学などを読んで、いろいろ勉強した。確か岡鹿之助氏の油彩画の技法書も読んだ気がする。その時はルネッサンス時代にできた油彩画の技法とそれほど変わらないものだった。ところが、あれから43年の間に顔料というものが、完全に変わってしまった。塗料の変化である。絵具会社が変えたということではなく、塗料の作り方が一変して、岩を細かくして顔料から絵の具を作るような会社はなくなったということだ。一般に販売している絵具というものは、金属からできていると考えた方が良い。しかもその金属から顔料を作る会社は、絵具会社目的ではなく、塗料会社向けに顔料を作っている。そこに便乗して絵具会社が分けてもらえる、という状態らしい。
クサカベ工場内
水彩絵の具の製法も、作り方も変わったわけではないが、顔料が変わったことによっていろいろの変化が起きている。まず、混色は自由にやっていいよう変わった。混ぜて化学変化が起こるような顔料は使われなくなった。同時に、有毒な顔料も一つもなくなった。舐めたからと言って問題はない。良くなったように見えるが、以上の結果、色が悪くなった。私はコバルト系統の色を多用するのだが、残念ながら、今やコバルトの良い絵の具はなくなった。なんとシュミンケにもない。どこかに売っているものがあれば、購入しておいた方が記念になる。顔料が変わることで、それくらい色味が変わった。理由の根本は売れなくなったからではないか。コバルト系の色は油絵具ではある。水彩絵の具の需要が、アクリル系の絵の具に移行して、売れないのだと思う。水彩画を描く人は増えているにもかかわらず、こうした変化が起きたのは、学校で需要が、水彩から、アクリル系へと大きく変わったからだと想像する。
絵具の練り機械
昔にこだわってもしょうがないので、ここは今ある色で、発想を変えてゆくしかない。と言ってもすでに今ある絵具でで絵を描いているのだから、いつの間にか慣らされている側面も大きいだろう。結局高い絵の具というものは、顔料会社から、高い顔料を購入して作っているということだ。それは膨大に使う塗料会社の使う顔料でも、それなりに絵の具は作れるのだから、安上がりなものに、本物が駆逐されたという結果でもあるのだろう。絵具から作って絵を描くわけにもいかないのだから、今あるものの中でマシなもので描くしかない。どうも顔料製造となると、日本製とは限らないだろう。科学の進歩で絵具は変わって安定したのだろうが、どうもつまらなくなった。クサカベには青金石の大きなものがあった。ああしたものから絵の具を作った時代の象徴なのだろう。ラビズラズリーがウルトラマリンに変わっても、大したことではなかったわけだから、コバルトバイオレットが無くなったからと言って、今ある色の範囲でやれないわけではない。絵具のこの50年の変化はルネッサンス以来の500年を一変させたようだ。絵の方は表現としての役割から、個人の問題へと変わった。
色の検査場
柿渋染めをしていて、思うことはその日の美しさがあるということだ。色は変わってゆく。古色ということがある。出来上がった時に最高のものではなく、80%の物である。時間の力に寄って、50年後には100%の絵になるように描く。紙もそうだ。酸性紙の問題など幼稚な話だ。100年経って美しくなる紙があったのだ。そして1000年たって消えてゆく。自分が生きている間には、完成を見ないような物作り。出来上がった時が最高の状態で、毎日劣化してゆくような製品が、現代の工業製品である。描いた絵の色が、徐々に美し変わるような。そうだ石原さんの絵はそうらしい。時間を含めて絵を見る。絵具や紙もそのつもりで接するようにしたいと思う。