小渕経済相辞任へ

   

妙高いもり池の夜明け 中盤全紙 山の視覚的実体というものが、視覚的に徐々に表れてくる。暗闇で見えないと言うときも、山はそこにある。見えなければないということになる。それが夜明け少しづつ見え始める。見えてきて、ある時実態に成る。

小渕経済相は週明け辞任ということらしいが、残念ながら辞任の方向であることは確かだ。「うちわ大臣」も頑張ってほしいが、そう長くはないだろう。安倍内閣もアベノミックスのほころびが明確に成るにしたがい、お金の為なら、大体のことは受け入れようという世論の風向きも変わり始めた。いよいよ、安倍政権の本質と言える、軍国主義的傾向に向かい合うことに成る。日本の未来にとって、あるいは世界情勢に関して、最も重要なことは、世界中を巻き込むような戦争をいかに回避するかである。イスラム国の自爆テロリストが、エボラ出血熱に感染して、アメリカに潜入したら、そう思うと恐怖である。世界は相当に危うい淵に来ている。国内には核武装まで視野に入れた、田母神新党まで登場している。自民党でも靖国参拝が内閣入りの踏み絵ではないかと思わせる様な勢いである。揃っての発言が、「国難に際して、命をささげた英霊に対し、哀悼の誠を掲げさせていただくことが、国会議員の務めである。」とのことだ。それには異論はない。但しそこに神として祭られている侵略戦争の責任者を、尊崇すると言う点は異論がある。

小渕大臣は自分の収支報告書を始めてみたと国会答弁している。報道で内容を知った所であると、国会の答弁で繰り返し述べていた。自分のサインはあるのだろうか。それで済むものだろうか。私には、明治座の歌謡ショーが政治活動とは到底思えない。これは地元の有権者への選挙活動の一つであろう。合法か非合法化は良く分らないが、こういう議員が日本中に無数に存在することだろう。議員というものは、哀れにも家族を巻き込み選挙活動を続けるものだ。政策選挙への議員一人ひとりの成長である。政策で議員を選ぶように国民が成長することだ。小渕氏は、自分の考えというものが無い。それは以前子育に関する大臣をしていた時に、国会答弁があまりにひどく、官僚からの指示が無ければ何も答えられない人だという事態だった。自分が子供を育てているのに、たぶんその育て方が、普通に暮らしている人達の子育てとは、相当に違うらしいということが分かった。総理大臣の一族はそういうものかもしれないと、以前は思った。それが今回は経済相であるが、自分の収支報告書に目も通していない。あるいは見ても分らない。

それが、安倍政権では何故か、次期総理大臣候補ということで、若く入閣した。国会の答弁には注目していたが、自分の言葉というものは、ただの一つもなかった。官僚の作った答弁書を読んでいるにすぎない。始めて自分の言葉での答弁が、収支報告書は始めてみた発言である。そういう人だと思っていた通りの人だった。問題は何故こういう人が、大臣にまでなってしまう仕組みかである。女性登用を急いだことがある。普通の大臣選択なら、収支報告書ぐらい、総理大臣側でチェックを入れるだろう。こうした所に怠りがある。女性を目玉にすることが、そもそも女性蔑視の変形である。日本の社会の女性の立場は、いつも書くが社会そのものの体質の問題である。だから、自治会長に女性がほとんどいないのである。制度を変えようが、内閣で形式標語を掲げようが、経済の為には女性の社会進出が必要だと考えようが。根本にある、女性が大切にされる社会に成る為には、日本人そのものが変わらない限りだめだ。まだ相当に時間がかかるのだろう。

小渕氏もうちわ法務大臣氏も結局辞任するだろう。私は辞めない方が安倍内閣の性格を表していていいと思うし、長く頑張り評判を落としてほしい位である。勇ましい3人の女性閣僚はそろい踏み絵のように、靖国参拝した。この姿が、安倍内閣である。自民党に有能な女性議員がいない訳ではない。自分の政策がある人もいる。しかし、そういう人では困る。間違っても自分の対抗馬に成る様な人は困るというのが、安倍氏の意向に違いない。このことは内閣改造の時にも書いたので。今回の内閣の女性閣僚の人選が、安倍氏の女性登用の見識だろう。自分勝りの女性大臣は困るのだ。経済相というアベノミックスの重要閣僚が、自分の収支報告書も初見という人だ。間違っても経済に強いという人選ではないだろう。経済は自分のブレーンが決めるから、言う通り動く人が良いというのが本音だろう。その結果だから、又陣笠を挿げ替えるだけになる。国民は安倍内閣の本質を見なければならない。

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