かまど炊き、ご飯。

   

小田原植木さんの森の木 中盤全紙 大きな木だ。この植木屋さんの森は、毎年里地里山のイベントで使わせていただく。久野川の清流があり、水路が引かれていて、夏でも涼しい。

良く出来たもので、かまど炊きご飯が一番美味しい。昔の人は不便なようで、一番美味しい食べ方をしていたのだ。子供の頃は五右衛門風呂の風呂係りだった。昼間の間に、薪を集めてきて置き、炊き口に積んでおく。炊き口には農作業などで出た、様々な燃えるものが置かれている。家のかまどの方が、良い薪を燃やす。薪によってごはんの味が変わってしまう。変なにおいのする薪では、美味しいご飯は炊けない。ご飯に移る、薪の煙の香りも味の決め手である。だから、家のかまどでは薪小屋から持ってきた、良い薪だけを使う。今年のお米はかなりの味のものに成った。特に粒張りが良い。もちもち感も強い。これは、最後の間断灌水にあるのではないかと思っている。もちろん良い水で栽培しなければ、良いお米はできない。良い水とは、豊かな雑木や柴山からなの絞り水である。その水が、淀むことなく、岩に砕けて酸素を十分に含んで、田んぼまで流れ下ることだ。雨水では美味しいお米は作れない。豊かな山があり、清流があり、田んぼがある。その水が海に流れ下る。この水土の姿が米作りの基本だ。

有機農法で作るお米は、稲が元気で活力に満ちていなければだめだ。消毒をしないから病気が出ると言うようなお米が良いお米の訳がない。また、栄養不足で5俵ぐらいしか取れないお米では、お米の能力が十分に発揮された物にはならない。25年失敗を繰り返しながら、良いお米の作り方を模索してきた。私の叔父の彫刻家の草家人は、玄米だけを食べているので、健康なのだと主張していて、上野原の奥の山中に暮らしていた。つくしとか、サンショのつくだ煮とかと玄米ごはんだけ食べていた。長生はしなかったのだから善悪は分らないが、元気ではあった。良いお米とは何か。当然種なのだから、何十年も生命力を保つお米であろう。50年保存しても発芽するお米が良いお米ではないか。むしろそういうお米をおいしいお米として、味わう能力の方を高めなくてはならない。舟原も坊所も、欠ノ上のお米も長期保存したことが無いが、もう50年は生きていないので結果は分らない。しかし、今年作ったお米も、日本に来てからだけでも2700回の栽培の結果であることは確かだ。

今年は欠ノ上田んぼで収穫を祝う食事会を行った。欠ノ上では始めてのことだ。田んぼにかまどを作りご飯を炊いた。自分達の採れた野菜と、味噌醤油で汁物を作った。農の会全体では、12月14日に自給祭があるが、まず欠ノ上田んぼで収穫を祝った。まだ稲刈りをしているグループがある中、一足先に収穫を終わったおかげである。美味しいかまどご飯を炊こうと思って準備したのだが、まあまあぐらいにしかならなかった。しんがあったり、柔らか過ぎた訳ではないのだが、少し炊き始めの火力が弱かった気がする。そこそこに炊けては居て、美味しいことは美味しかった。かまどご飯も微妙なものだ。水加減は人差し指の先で行うとか、色々みんなに蘊蓄を話していた。炊きあがりが難しい。お釜に触ってぐつぐつを感じることなどと説明していた。そうしたらみんなが全然ぐつぐつ言わないと言うので、匂いを嗅いだら、すでに出来上がっていた。匂いを説明しようと思っていたのだが、その前に慌ててかまどから降ろした。下ろすタイミングは良かったようだ。

持ち寄った野菜と、畑の里いもでいも煮会である。私は白菜とカブが提供できた。ご飯もおいしかったのだが、この鍋はとても美味しかった。今年の田んぼも無事終了したことを心から感謝出来た。田んぼの仲間に何人かがジャンベをやっているので、練習を兼ねて演奏をしてくれることになった。これがまた自然の中に溶けこんで太鼓のリズムが心地よかった。田んぼの脇に清流があり、その岸辺に栗林がある。そして田んぼへと繋がっている。見上げれば明星岳が見える。かまどは常設したので、昼ご飯を食べ、お茶を沸かすことが出来る。みんなでやる田んぼとして欠ノ上は、実に条件が整っている。結局田んぼをやるのはこういう幸せな時間を持てるからなのだろう。今年はメンバーの一家族が、長野に移住した。それで一枠だけ参加者の空きが出来た。もし本気で田んぼの勉強をしたいと言う人がいたら、参加者を募集します。有機農業で、畝どりをする技術を伝えて行きたいと思う。

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