JA:農協の意義
東伊豆 10号
農協は日本の農業の生産性を、戦前の4倍にしたと言われている。日本農業が世界1と言われたこともあったのだ。その一番の役割を担った、有意義な組織であった。農村改革が農協を中心に次々に打ち出され、前近代的な、封建的であった農村に、新しい経済性という風を吹かせた組織である。その役割は様々な角度から生産革命を推進した。生産者が、農産物を加工し商品化して販売する。この一貫性ある仕組みを作り出した先駆者である。農業者の自立を確立した功績が一番の物である。その過程では、小さな農家から、3ちゃん農業の価値を生かす工夫が、巧みになされてきたと言える。確かに農協は大商社ではあるが、一人ひとりの農家は、自立して営農し、都合よく加わるという、矛盾をはらんだ、巧みな組織なのだ。この類まれであった組織が農業組織であるという、一番大切な部分を希薄にさせてきたことは、国際競争力という資本主義経済の中で矛盾を深刻化させてきた過程ではないだろうか。自己変革を出来なかったということなのだろう。結局は減反政策以降、政府と補助金と選挙に翻弄されてしまった。
過去最悪の39%の食糧自給率、(生産額ベースの自給率65%は、)目標とした50%からはるかに低いもので、今後の展望もない。政府の責任でもあり、農協の責任であり、一人ひとりの生産者の責任でもある。このことで責任を取った人はいない。政府などは、目標が現実的でなかったとして、50%を下げようというような考えをにおわせている。何が、地方の創生だ。何が、瑞穂の国だ。いうこととやることが全く違って、平然としているのが、安倍政権である。出来そうもないので止めるのでは、政治とは言えないだろう。食料自給率をどうするかということは、日本の国の方向をどうするかということだ。何が何でもやる。その為にどういう政策があるか。このことを考えるべきだ。TPP等その意味で、どう考えても、日本の自給率をさらに下げるだろう。食料というものは、他の商品とは意味が違うということを、認めない様な貿易協定は加わるべきではない。
食料を確保する、せめて食糧の半分は自給で確保する。これは先進国として、当然の国家の義務である。その程度の自給がなければ、安定した、安心の国づくりはできない。これは集団自衛権以上に、最低限の国家自立を意味している。そんなことも理解できない政府では、日本と言う国の自立を捨てる。大企業の利益に国民を犠牲にする輩だ。この事態で農協が何をすべきかだ。農協の不思議な組織形態は、強さでもあり弱さでもあった。私は農協の正組合員である。昨年まで2年間は運営委員でもあった。しかし、こうした問題で、意見を交わすような場面は一度もなかった。農協が無くなるのかどうかの瀬戸際に来てしまい、末端の組合員から意見を上げてゆくような組織になっていないということである。西湘農協はそういう組織には成っていない。営農指導を行う職員もずいぶん減ったと言われていた。
農協の意義は、大切で大きなものがある。私の様な遠慮のない、言いたいことを言ってしまう人間でも、農協の集まりでは発言が出来なかった。以前、学校給食米を地元のお米でという問題を、農協に相談に行った。農協自体が、小田原市に対して小田原農協が地元米の使用推進の陳情書を出していたので、一緒に取り組もうとお願いした。ところがこれ以来、毛嫌いされるようになった。理由は分らないが、もう少し組織で偉くなってからそういうことを言え、順序を無視しているという封建的な感触がした。その後も毛嫌いされていると言うような、経験を何度もしてきた。どうでもいいことなので、気にはしないが、たぶん農協が次の日本の農業を提案するためには、民主的な組織に成り得るかどうかにかかっているのではないだろうか。農協と言う組織がとても大切なものであると思われるだけに、現状は実に残念なことだ。