旅客機撃墜と戦争のはじまり方

   

館山の日の出 10号 房総は山の様子が違う。しかしここも人間が長く暮らしてきた味わいがある。暮らしの匂いの濃厚な風景だ。

ウクライナでマレーシアの旅客機が撃墜された。ミサイルによる攻撃と見られる。戦争というものはこうして始まる。両者又、その背景にある両陣営は、互いに撃ち落としたのは、ロシア系の独立派だ、ウクライナ政府軍だと、言い募っている。誰がやったのかというのも重要なことではあるが、マレーシア航空機の乗員乗客は298人が命を奪われたことは、無残な事実だ。日本政府は邦人が含まれているか居ないかをまず問題にしていたが、それどころではない。この戦争が深刻化して、世界が巻き込まれてゆく可能性だってないとは言えない。戦争は憎しみの連鎖である。この間、イスラエルと、ガザ地区でも深刻な戦闘が起きている。3人のイスラエル少年の殺害が起こる。それの報復とみられるパレスチナの少年の殺害。両者の言い分は対立したまま、深刻な地上戦が起きている。それに対して世界中が有効な手段を持たない。

マレーシア航空では先日も旅客機が行方不明になった。全く不運なことだ。しかし、大韓航空機のロシア上空での撃墜を髣髴させるところでもある。あのときも明確な原因は分らなかったが、大韓航空機がロシアの基地を撮影するために、通常のルートではなく、進入禁止の基地方向へ進路を向けたため撃ち落としたと、ロシア政府は発表した。真実は分らないが、武力主義の前では、人の命がいかに軽んじられるのかということを表している。あのとき韓国は我慢をしたのだと思う。パリに住んでいる頃で、飛行場に友人を出迎えに行くことがあったが、大韓航空機で日本から来る人が多かった。クルーは確かに軍人の様であり、異彩を放っていた。マレーシア航空機がなぜ、こんな危険な地域を通過していたかである。どう考えても安全なルートには思えない。対空ミサイルは、すでに用意されている、戦闘地域の上空を通過するルートが安全な飛行ルートの訳がない。その程度の安全思想が無い航空会社では、こまる。

日中戦争を考えてみても、武力のにらみ合いがあり、満州鉄道の爆破事件があり、両者が責任をなすり合い、戦争に向かってゆく。真実は常に闇の中である。ウクライナの問題も、どこに正義があるのか等は、全くに不明だ。パレスチナ問題でも背景には、ハマスにはイスラム勢力全体の支援がある。イスラエルにはアメリカの支援がある。戦争の背景には、大きな勢力争いがある。世界全体にイスラム勢力と、経済主義勢力との対立が起きている。イスラム勢力は石油という財力を持って、その勢力圏を主張し、グローバル資本主義との対立を起こしている。直接には、民族的対立ではあるが、代理戦争化する。日本と韓国の対立も、歴史的軋轢もあるが、それは理由づけであって、経済競争のライバルということなのだろう。最近日本が北朝鮮に接近し、それを外交交渉の材料にし始めている。

現代の戦争は、巨大な武力の均衡を背景にした末端での代理戦争である。直接の戦争は巨大な武力どうしでは、リスクが高すぎるので、勢力の外の淵で両者の武力の本気度が試される。大国同士が直接戦えない為に、より地域の小戦争は増加する。日本もこの武力の話の中に入りたいとするのが、安倍政権の発想である。誘われてもいる。世界の全体な武力バランスが、世界の端々の経済にまで影響している。北朝鮮のトラブルも、イスラエルの攻撃性も、イスラム世界との対立も。すべて巨大武力に対して反撃しようとする原子爆弾の保有である。日本がその仲間になりたい。そして世界と対等になりたいというのが、安倍政権なのだろう。仲間として対等にメンツを張るには、武力だという考えから抜けられない。武力など持たないでも尊敬される国になる。そうならない限り、巨大武力の先兵にされるだけだ。

 - Peace Cafe